格闘技PRESSBACK NUMBER
力道山から始まった文体58年の歴史 ベストバウトは藤波vs.猪木、美空ひばりも歌った
text by
門馬忠雄Tadao Monma
photograph byMoritsuna Kimura/AFLO
posted2020/09/22 20:00
文体のベストバウトに挙げられる藤波辰爾vs.アントニオ猪木(1988年8月8日)。数々の名勝負が繰り広げられてきた
トイレには会長手書きの張り紙が
8月29日と30日、大日本の創立25周年イベントの一環として、「横浜文化体育館ラストマッチ」と銘打って行われた。
小鹿会長は1962年10月、日本プロレスに入団。大日本の設立は1995年3月。横浜市都筑区池辺町に事務所を置き、横浜文体で旗揚げ。ストロングスタイルとデスマッチ2本立ての興行路線に、地域密着型プロレスで地力をつけてきた団体だ。旗揚げのホームリングでの「さよなら興行」は、感無量だったと思う。館内の男子トイレには、小鹿会長手書きのこんな張り紙がされていた。
「横浜文化体育館、58年間ありがとう」
「この小汚ねえ横浜のゴミクズみたいな……」
29日のリングで、令和の新たな激闘譜を残したのが、BJW認定世界ストロングヘビー級王者“破壊王2世”橋本大地だった。キャリア9年、大日本の新しい顔となった橋本は、外敵・入江茂弘を19分10秒、ライジングDDTで沈め、6度目の防衛に成功。父・橋本真也が新日本のG1クライマックスで数々の激闘を繰り広げたリングで、「俺が横浜文体の語り部になる」と力強いメッセージを残した。
30日に存在感を示したのは、鈴木みのるだった。1988年6月23日、新日本の横浜文体大会・飯塚孝之(現・高史)戦でデビューした鈴木は、生粋の浜っ子だ。横浜高校レスリング部出身、パンクラス時代には短期間ではあるが、文体の近くにジムがあった。いわば、横浜文体によって鍛えられ、“世界一性格の悪い男”という個性に育った。
この日は、大日本の期待の新星・野村卓矢を相手に「喧嘩はこうやるんだ!」と殴る、絞めるのラフ戦法。最後はスリーパーホールドから必殺のゴッチ式パイルドライバーでKOし、キャリアの違いを見せつけた。引き上げる際には、いかにも鈴木らしい悪態ぶりだった。
「この小汚ねえ横浜のゴミクズみたいな横浜文化体育館! なくなるなんて……、寂しいじゃねえか。ハハハ。クソジジイほどの歴史があるこの体育館のわずか小さな1ページに俺の名前が入っている。だから今日、ここへ来た」