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力道山から始まった文体58年の歴史 ベストバウトは藤波vs.猪木、美空ひばりも歌った  

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門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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photograph byMoritsuna Kimura/AFLO

posted2020/09/22 20:00

力道山から始まった文体58年の歴史 ベストバウトは藤波vs.猪木、美空ひばりも歌った <Number Web> photograph by Moritsuna Kimura/AFLO

文体のベストバウトに挙げられる藤波辰爾vs.アントニオ猪木(1988年8月8日)。数々の名勝負が繰り広げられてきた

ベストバウトを挙げるとしたら……

 横浜文体は、日本武道館や蔵前国技館よりも、観客席が近く感じた。それでいて、収容人数は約5000人ながらタイトルマッチを行うにも十分な風格があった。

 そんな文体58年の歴史の中で、ベストバウトを決めろと言われれば、1988年8月8日の新日本・IWGPヘビー級タイトルマッチ、王者・藤波辰巳(現・爾)と挑戦者・アントニオ猪木の一戦を挙げる。この4カ月前、藤波は沖縄大会の試合後に控え室で師匠・猪木にメインイベンター交代を直訴。ビンタを張られてもひるまず、張り手を返した。

 王者である弟子に、師匠が挑戦する。当時、私は会場で販売されるパンフレットの執筆者だったが、藤波の決意と、それを受け入れた猪木の心意気に、胸が締め付けられた。実際の試合でも、互いがすべての技を出し切った。午後8時に始まった激闘の結末は、60分フルタイム時間切れ引き分け。生中継していたテレビ朝日の放送もタイムアップ。結果を伝えられず、テレビ朝日に抗議の電話が殺到したのも伝説のひとつだ。

 試合を終えたリングでは、2人ががっちりと握手。猪木を長州力が、藤波を越中詩郎が肩車する光景は、文体を彩った名シーンである。

 ただし、私にとっては苦闘の60分でもあった。当時の文体には空調設備がなく、とにかく暑かった。メガネは曇り、汗でパンツまでぐっしょり。大会が終わった途端、逃げ出すように館内から飛び出したのも、いい思い出だ。

プロレスファン以外にも愛されたブンタイ

 プロレスファンにとってだけではない。京浜東北線の関内駅から徒歩4~5分の場所にある文体は、横浜のスポーツ愛好者にとって、それぞれ「バスケットボールの文体」「体操の文体」「柔道の文体」「空手の文体」だった。特に卓球好きにとっては、格別な場所だったはず。1階のフロアには、40もの卓球台が並んでいた。

 横浜在住40年の私にとっては、「歌謡ショーの文体」でもあった。大川栄策の『さざんかの宿』が聴きたくて、何度も文体での歌謡ショーに通ったものだ。

 プロレス開催時には、中2階にある楽屋が、記者室として使われていた。畳敷きの和室で、メイク用の鏡やランプも設置されている。「ここで、美空ひばりや青江三奈も化粧をしていたんだなぁ」と思いながら、プロレスの原稿を書いていた。

【次ページ】 跡地は収容5000人程度のアリーナに

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