F1ピットストップBACK NUMBER
アルファタウリ・ホンダ、F1初優勝は「正当な結果」。真のパートナーが理解した日本人の精神性。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2020/09/07 15:00
初優勝を遂げたアルファタウリ・ホンダのピエール・ガスリー。フランス人としては'96年モナコGPのオリビエ・パニス以来、24年ぶりの優勝。
日本の文化を学ばせたトスト。
トロロッソのスタッフがそういう対応をするようになったのは、チーム代表のフランツ・トストの影響が大きかった。トストはかつて日本でレースをした経験があり、日本人のメンタリティを理解していた。ホンダと組むことが決まると、シーズンオフ中にイタリアを本拠地としているスタッフ向けに日本の文化を学ばせるための勉強会を開いたほどだった。
ホンダにとって忘れられないレースがある。'18年のロシアGPだ。次戦の日本GPを前にホンダはここでスペック3を投入する。技術面や時間的な制約など課題は山積していたが、トロロッソのメンバーは嫌な顔ひとつ見せず、スペック3導入のために懸命にホンダをサポートした。しかしこの投入がその後のホンダの躍進につながる。そのスペック3はそれまでのパワーユニットとは燃焼コンセプトが大きく異なり、翌年以降、今年も使用しているパワーユニットの礎になったものだったからだ。
「早くレッドブルと勝ちなさい」
さらにホンダが'19年からトロロッソに加え、姉妹チームで格上のレッドブルにもパワーユニットを供給するという話し合いを始める際にも、トロロッソはホンダの背中を力強く押してくれた。ホンダF1の交渉役を務める山本雅史(マネージングディレクター)は次のように当時の状況を明かす。
「私がレッドブルとの交渉を開始する前に、仁義を切ってトストさんを訪ねたんです。するとトストさんは『ぜひ、進めなさい』と言い、さらにこう続けたんです。『トロロッソと組んでも勝つには5年はかかるから、ホンダは早くレッドブルと組んで、さっさと勝ちなさい。われわれもそれを願っている』と」
こうしてホンダは'19年からトップチームの一角を占めるレッドブルにもパワーユニットを供給することになった。勝利だけを目指すのであればレッドブルを優先した供給体制を構築してもよかったが、ホンダは2チームと公平な関係を結ぶ道を選んだ。そこには、「いまのホンダがあるのは彼らのおかげと言っても過言ではありません」(田辺)という敬意が込められていた。