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トッティ以来セリエAで欧州得点王。
凡庸扱いのインモービレ、遂に栄光。
text by
神尾光臣Mitsuomi Kamio
photograph byGetty Images
posted2020/08/17 11:30
ラツィオでコンスタントにゴールを積み重ねてきたインモービレ。30歳でのゴールデンシュー獲得は彼のキャリアへの祝福だ。
ユーべ経由ペスカーラでブレイク。
若い頃から、点取り屋としての能力には疑いの目は持たれていなかった。DFラインの裏に抜けるセンスが独特で、得点も奪える優秀なストライカーだった。ソレントの下部組織でゴールを量産して、16歳でトップチーム入りを果たす。
評判を聞きつけてスカウトが見に来れば練習中でも次々とシュートを決め、最終的にはユベントスに引き抜かれることとなる。そこでもゴールの量産体制は変わらず、2010年のビアレッジョ・国際ユース大会で記録した10ゴールは現在も破られていない。
ユーベは彼を数々のクラブにレンタルに出し、実戦を通して修業を積ませる。そして、2011年から所属したペスカーラで、完全なブレイクを果たしたわけだ。
監督は“攻撃の鬼才”と言われたズデニク・ゼーマン。かつてジュセッペ・シニョーリやフランチェスコ・トッティといったタレントを育てた指導者の薫陶を受け、いきなり最初のシーズンで28ゴールを挙げて得点王となる。マルコ・ベラッティ(現PSG)やロレンツォ・インシーニェ(現ナポリ)らとともにチームのA昇格へ貢献した。
浮き沈みがあった、点取り屋の経歴。
この時代に、彼のストライカーとしてのスタイルも確立したと言える。
ゼーマンから厳しく指導を受けたのは、主にボールを持っていない時の動きだったという。斜めに走ってマークを引き付け、後方のMFを走り込ませるスペースを作ると同時に、相手の守備を乱して自らもフリーになるという戦術的な動きだ。彼は地元紙でこう振り返っている。
「中盤の選手がボールを持った時に、基本的にどう動くべきかを叩き込まれた。重要なのは、動きをどうつなげていくかということにある。どこに走って、どういうふうにシュートまで持っていくを考えていかなければならない。
今はプレーがどんどん速くなっているから、ボール受けてからどうするかを考えるかのでは遅い。良いストライカーというのは詰まるところ、シンキングスピードの早い選手のことを言うんだ」
ただその後のキャリアで、彼は浮き沈みを経験することになった。翌シーズンに移籍したジェノアでは5ゴールにとどまったかと思えば、2013-14シーズンのトリノでは22ゴールを奪って得点王になる。しかしボルシア・ドルトムントに引き抜かれると、ドイツの環境に馴染めずに挑戦は1年で終わる。セビージャに移籍しても鳴かず飛ばずでイタリアに戻った。
2016-17シーズンからはラツィオに移籍し23ゴールを記録するが、イタリア代表では失敗。ジャンピエロ・ベントゥーラ監督のもとでエースストライカーとして主力となったものの、ロシアW杯予選プレーオフではスウェーデンのゴールを破れず、本大会出場を逃す要因となってしまった。