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駒野友一と松井大輔の6月29日。
南アフリカW杯が僕らを変えた。
text by
細江克弥Katsuya Hosoe
photograph byAsami Enomoto
posted2020/06/29 11:30
2014年撮影。涙を流したパラグアイ戦から4年後、所属していた磐田の練習場で「逆バージョンや」と笑う駒野(右)と松井。
かなりショックだった。でも……。
駒野にとって南アフリカ大会は、'06年ドイツ大会に続く2度日のW杯だった。
「ドイツ大会のオーストラリア戦はあっという間でした。あれだけ早く過ぎた90分間はない。その経験があったからこそ、南アフリカではしっかりと試合に入れたんだと思います。ただ、最後は自分がPKを外して負けたわけですから、忘れられないですよね」
愚間を承知で「ショックの大きさ」を聞くと、駒野は「かなり」と小さく答えた。
「引きずりましたね。でも、1週間後にはジュビロの始動が控えていたので、そこで切り替えなきゃいけないと思っていました。みんなに(PK失敗のことを)言われることで、逆に前向きになれるかなと」
チームに迷惑をかけまいとする真面目さも手伝って、燃え尽き症候群に陥ることはなかった。むしろ、その逆。あの舞台には、やり残したことも大きな借りもある。だから迷うことなく、4年後のブラジルを見据えた。
「W杯には、出場してみなければ分からない魅力がありますよね。スタジアムの雰囲気、それから世界トップレベルの選手と真剣勝負できる独特の緊張感。だから自然に、もう一度出場したいと思えました」
高精度のクロスと両サイドを難なくこなすユーティリティ性は、アルベルト・ザッケローニの目にもとまった。'11年8月、駒野は約10カ月ぶりに日本代表のユニフォームを着てピッチに立ち、以降は“準レギュラー格”としてメンバーに定着する。Jリーグでは'12年シーズンのベストイレブンを受賞するなど、節目の30歳を過ぎてなお国内屈指のサイドバックとして揺るぎない評価を得ている。
もう一度、日の丸を背負って。
キャラクターは、どちらかと言えば職人気質の今野泰幸や内田篤人に近い。もの静かで口数が少なく、真面目でマイペース。本田圭佑や長友佑都のようにどデカい目標を公言することはないが、内側には負けん気の強さや飽くなき向上心を秘めている。だから密かに、心の中に「よりレベルの高い環境でプレーしたい」という願望を持ち続けていた。過去には海の外に職場を移すことを、現実的な目標として視野に入れたこともある。
「うまくいけば挑戦したいと思っていました。日本代表として世界と戦うと、自然と意識は高くなりますよね。ああいう相手と、ああいう環境で、日常的にやりたい。松井はすごいですよ。10年も向こうにいたんだから」
「日常的に」という願いが叶わなくとも、もう一度、日の丸を背負って世界を体感したい。技術も体力も、精神力も衰えていない。そうした自負があるからこそ、本気で3度目のW杯出場を目指した。
ところが、'13年6月4日、おそらく決定的に彼をブラジルから遠ざける出来事があった。