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駒野友一と松井大輔の6月29日。
南アフリカW杯が僕らを変えた。
text by
細江克弥Katsuya Hosoe
photograph byAsami Enomoto
posted2020/06/29 11:30
2014年撮影。涙を流したパラグアイ戦から4年後、所属していた磐田の練習場で「逆バージョンや」と笑う駒野(右)と松井。
「俺がジュビロに行ったら?」
日本が世界最速でW杯出場権を手にしたその日、指標官はW杯最終予選における招集メンバー26名から、コンフェデレーションズカップの登録メンバー23名を選んだ。駒野は3名の落選組に振り分けられ、ザッケローニに呼ばれて直接その理由を説明された。しかし指揮官の言葉は、駒野にとって「予想外」かつ「ショッキング」なものだった。
「監督と2人で話しました。でも、内容は言いたくありません。いろいろと考えさせられたし、僕にとっては消化するのが難しい言葉でした。去年はいろいろと考えさせられましたね。ジュビロは勝てない時期が続いて、シーズン途中からキャプテンを任されて。いろいろと、考えることが多くなりました」
所属するジュビロ磐田は'13年シーズンのJ1リーグで17位に沈み、J2降格を余儀なくされた。代表では事実上の二軍で臨んだ東アジアカップでキャプテンを任されたが、9月以降の招集リストに名前はなかった。
「不安はありました。代表に選ばれなくなって、チームはJ2に降格してしまった。だけどそれは、自分の責任でもある。だからジュビロに残ることにしました。代表入りの可能性がなくなるとは限らないので」
松井から1本の電話が掛かってきたのは、ちょうどその頃である。
「『ジュビロに来てほしい?』とか『俺がジュビロ行ったらどうする?』とか、そんなことを言っていた気がします。「そりゃあ、来てくれたら嬉しいよ』って伝えましたけど」
松井とチームメイトになるのは、南アフリカ以来4年ぶりのことだった。
燃え尽き症候群になっていた松井。
南アフリカW杯終了後、松井はしばらく気持ちを切り替えられずにいた。「しばらく」と言っても、1カ月や2カ月の話ではない。
「(大久保)嘉人と同じで、燃え尽き症候群になってしまって。自分の中では、やり切ったという思いがありました。だからその後はサッカーをもう一度楽しみたいと思って、言葉は悪いけど“遊んで”いたんです。W杯が終わって、1年、2年……じゃなくて3年か。その間、ずっとボーっとしながらピッチに立っていた感じですね」
'06年ドイツW杯のメンバー入りを当落線上で逃した松井にとって、南アフリカW杯は「どうしても出場したい大会」だった。
世界最高の舞台で、自分の力を示したい。大会のハイライトとして語り継がれるゴールを決めたい。極端に言えば、自分さえ良ければそれでいい。「アドレナリンが出過ぎて、感極まる」。そんな思いでカメルーンとの初戦に持てるすべての力を注いだが、強すぎる思いのリバウンドが大会終了後のモチベーションを著しく低下させた。
「目標がなくなって行き場を失うというか、ピッチに立っているのにそこにいる気がしないというか。ずっと、そういうフワフワした状態だったんですよ。でも、移籍をするとみんなに期待されるじゃないですか。それに応えようとする気持ちだけで、自分を支えていた感じですね」