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日本人初のマイナーリーグ監督、
三好貴士が高校生に伝えたかったこと。 

text by

上原伸一

上原伸一Shinichi Uehara

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photograph byTakashi Miyoshi

posted2020/05/23 20:00

日本人初のマイナーリーグ監督、三好貴士が高校生に伝えたかったこと。<Number Web> photograph by Takashi Miyoshi

2月に招待されたスプリングトレーニングで出会ったトニー・オリーバ(左)とロッド・カルー。

「失敗を恐れて挑戦を怖がっている生徒たちに」

 渡米前の2月上旬――。三好の姿は都内の定時制高校にあった。知人の先生からのたっての願いで講演を引き受けたのだ。

「失敗を恐れて挑戦を怖がっている生徒たちに、僕がたどってきた道のりを話してほしいと頼まれまして。生徒たちのほとんどが、何らかの理由でドロップアウトした経験を持っているのでと」

 三好は、メジャー傘下の監督に就任するまでどんな山々を乗り越えてきたか、熱っぽく語りかけた。自身の苦労話的なことを公の場で伝えるのは初めてだった。

GMからは必要ない、来るなと存在を否定され。

 挑戦が始まったのは31歳の時。2009年のことだ。当時、7球団を渡り歩いたアメリカ独立リーグでの選手生活を終え、日本でサラリーマンをしていた。だが三好には野球に対する不完全燃焼感がずっとくすぶっていた。しかし1球団目から厳しい現実を突きつけられる。MLB通算414本塁打のダレル・エバンスに人間性を評価され、彼が監督を務めるビクトリア・シールズでアシスタントコーチになるも報酬はなし。GMからは必要ない、来るなと毎日、存在を否定された。

 それでも、まったくめげなかった。

「エバンスのもとで野球を学べるチャンスは、たとえ無給でもそうはないですからね。それに31歳で無給という普通は選ばない道を行くのなら、それを自分の強みにしたかったんです」

 三好はチームの雑用を一手に引き受け、やがて600ドルの月給を得る。日本円にして7万円にも満たないが、ようやく「プロ」のコーチとして認められた。

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三好貴士
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マーウィン・ゴンザレス
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