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私のJ最強クラブ。16年浦和を再考。
ミシャの変貌と興梠史上最高の1点。
posted2020/05/16 11:00
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
J.LEAGUE
勝ち点こそが強さの証明であれば、このチームは史上最強の部類に入ってもいいはずだ。シャーレを掲げることが許されなかった幻の“年間王者”として――。
2016年、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現・北海道コンサドーレ札幌)に率いられた浦和レッズが、全34試合で積み上げた勝ち点は74ポイント。'15年のサンフレッチェ広島と並んでJ1史上最多タイの記録である('05年以降の18チーム34試合制)。しかし、シーズン締めくくりの表彰式でイレブンは失意に暮れることになる。
ホーム・アンド・アウェーで行われたチャンピオンシップ決勝は、アウェーゴールの差で最終決着。'16年のJリーグ王者として歴史に名を刻んだのは、浦和よりも年間勝ち点で15ポイント下回った鹿島アントラーズである。
6万人近くが詰めかけた埼玉スタジアムのピッチ上では、赤いユニフォームを着た男たちがぼう然と立ち尽くしていた。古巣の面々が歓喜する姿を目の当たりにした興梠慎三は、悔しさのあまり言葉を失った。試合後も「きょうは勘弁して」とひと言。普段は丁寧に取材対応するが、あの日は報道陣の前で足を止めることなく、そのままチームバスへ消えた。
興梠「下を向く必要はない」
悪夢の決戦から1カ月半後。オフで気持ちをリフレッシュした興梠は、堂々と胸を張っていた。
「鹿島に勝負強さがあったのは認めますが、チャンピオンシップは運もある。ずっと言い続けているけど、俺は年間勝ち点1位こそが真のチャンピオンだと思っている。勝ち点74は誇っていい成績。1年を通して安定した戦いを見せたし、下を向く必要はない」
いま振り返れば、'12年からスタートしたミシャレッズの集大成である。
その前年までは前がかりになるあまり、たびたび相手のカウンターを浴びて失点を重ねた。失敗を恐れぬチャレンジの代償は大きく、肝心なところで勝ち点を落としていた。それが、'16年シーズンは看板の3-4-2-1システムを変えず、中身だけ進化。諸刃の剣となっていた大胆な縦パスをカットされても、ピンチの芽はすぐつんだ。敵陣で難しいワンタッチパスの交換に失敗しても、いち早くボールを回収。逆にそのまま反撃に出た。相手のお株を奪うようにショートカウンターが機能し、1つの武器となったのだ。中盤でしゃにむに走った柏木陽介は、あふれる自信を口にしていた。
「攻守の切り替えの速さはリーグで1番だと思う」