“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
本田圭佑を象徴するプロ初ゴール。
マラドーナに学んだ強烈な自己主張。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/04/28 11:50
プロ初ゴールを決めた4月28日東京ヴェルディ戦。本田圭佑のキャリアを予期させるゴールだった。
苦渋を嘗めた世界デビュー。
6月にオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権(現・U-20W杯)。自身初となるFIFAの世界大会である。
グループリーグ初戦のオランダ戦でボランチとしてスタメン出場。しかし、ボールが足につかず、オランダの圧倒的な個人技の前にチーム全体も後手に回り、2点のリードを許した。ピッチから消えていた本田は、64分にベンチに下がる。代わって入った水野晃樹のアシストで1点を返したものの、1-2で敗れてしまった。
それ以降、ラウンド16で敗退するまで本田は一度もピッチに立つことはなかった。
帰国後、名古屋の練習場であるトヨタスポーツセンターに足を運ぶと、覇気のない本田がいた。練習後、彼を車で寮へ送った時、助手席に座る本田の姿を今でも覚えている。一点を見つめ、顔面蒼白。こぼした一言が忘れられない。
「正直、ショックというか、俺って凄くポジティブな性格だけど、裏を返せば、実は凄く不安な性格なんですよ。不安だから努力をすると思う。簡単に言えば強がっているんですよ。ただね、何でもスムーズに上にいけることなんてないと思うし、やはり人間だったら1度や2度の挫折は誰にでもあると思う。一番重要なのはその挫折から立ち直れるか、立ち直れないかだと思う」
19歳の彼は打ちひしがれそうな衝撃に対する受け止め方と、そこからの立て直しに必死にもがいていた。
プロの世界は結果がすべて。ましてや世界となると日本人が活躍をするためにはやはり目に見える結果を出さないと評価をされない。世界進出を目論んだオランダワールドユースで何もできず、わずか64分間のプレーで終わった屈辱と悔しさを力に変える。
彼の成長曲線はここからさらに上がっていった印象だった。
マラドーナのようにゴールを決めないと。
2005年シーズンはボランチやウイングバックでの出場が多かったことで、リーグ31試合に出場するも、2ゴールで終わった。
「やっぱりパスで満足をしていたらダメ。マラドーナのようにゴールを決めないと俺は世界に行けない。やっぱり結果を出さないと。試合に出ているだけでは、評価されない。(プロ1年目を終えて)それに気づいた」
マラドーナといえば、高校時代にはこんなことも話していた。
「僕の1番好きなゴールは1986年のメキシコワールドカップで、アルゼンチン代表の10番であったディエゴ・マラドーナがイングランド代表戦で見せた伝説の5人抜き。インパクトがありすぎますね。'86年は僕が生まれた年なんですが、何回もこの映像は見たことあります。もう単純に凄い。こんなことが出来る人がいるんだなって驚きましたね。しかもマラドーナは僕と同じ左利き。パスも大好きだけど、ああやって『誰が何と言おうが俺が決める』という強い意志は凄く刺激を受けました」
東京V戦のゴールはまさに「俺が決める」という強烈な自己主張を前面に出せたからこそ、生まれたゴールだった。プロ1年の戦いを終えて、「誰が何と言おうが俺が決める」という姿勢の改めて認識したのだった。
2年目以降、本田は貪欲にゴールを求め、目に見える結果を次々と叩き出し、スターダムにのし上がっていった。