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浦和の「引き立て役」はもう御免だ。
ガンバACL雪辱劇と勝負師・西野朗。
posted2020/04/26 20:00
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph by
AFLO
サッカー王国ブラジルで最も危険なダービーで知られるコリンチャンス対パルメイラス戦や、ボカ・ジュニオルスの本拠地、ボンボネーラで漂う狂気に似た空気を数多く吸ってきた私にとっても、あの夜の埼玉スタジアムは異空間だった。
2008年10月22日、ガンバ大阪は宿敵、浦和レッズとのACL準決勝2レグに挑んだ。
5万3287人のサポーターを飲み込んだ埼玉スタジアムは、番記者の私にとっても完全アウェイ。地鳴りのような野太いコールが鳴り響くスタジアムを見渡せる記者席に足を踏み入れた時、全身に鳥肌が立ったのを今でもはっきりと覚えている。
1993年のJリーグ開幕戦で顔を合わせて以来、幾度となく対戦してきた両雄ではあるが、FIFAアンセムとともに入場して来るのは第1レグに続いて2度目のこと。国内で覇権を争ってきた2つのビッグクラブが唯一、国際タイトルを懸けてぶつかり合ったのが2008年のACLだった。
大一番で立ちはだかった浦和の壁。
当時の両チームの力関係を象徴するのが、西野朗監督が自嘲気味に口にしていた言葉である。
「引き立て役」
ガンバ大阪にとって浦和レッズは大一番での「天敵」だった。2006年はゼロックススーパーカップで敗れた後、J1リーグ最終節では直接対決。埼玉スタジアムで逆転負けを喫して連覇を逃すと、2007年元日の天皇杯決勝でもその軍門に下っている。
タイトルを賭けた直接対決で長らく乗り越えることが出来なかった浦和レッズ。「いつも浦和の壁があったので乗り越えたい」と明神智和が話した言葉は、選手とサポーターのみならず、ガンバ大阪を日々、取材する番記者の誰もが抱いた気持ちだった。