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「なぜダフらなかったのか…」中山雅史の頭から離れない“幻のゴール”とは?【4戦連続ハットトリックから23年】
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/04/29 11:04
2021年1月、事実上の現役引退を決めた中山雅史。53歳まで走り続け、多くの記録を残した
「リポーターからスタメンへ。普通はないですよね」
ただ、数字上では明らかな変化が見て取れる。1996年と1997年のJリーグで同じ27試合に出場しながら、ゴール数は9から18に倍増。そして、11月のワールドカップ・アジア最終予選のカザフスタン戦で、実に2年5カ月ぶりに日本代表への復帰を果たした。
「9月末にホームで迎えた韓国戦(アジア最終予選第3戦)ではTBSさんから声がかかってゲスト出演。ピッチリポーターをやるというのは当日知りました。昼の番組『アッコにおまかせ!』内の中継があると。いま考えたら、びっくり話ですね」
ほんの1カ月半前までピッチリポーターだった男が、史上初のワールドカップ出場を決めるイランとのアジア第三代表決定戦で先発出場し、貴重な先制点を叩き込んだわけだ。まるで救世主のように。
「リポーターからスタメンへ。そんな話、普通はないですよね。得な登場の仕方だったなぁと。ただ、常に準備だけはしていました。人生は山あり谷あり。下がったときに、どう考え、どう行動するか。僕はいつでも挑戦者の立場ですから」
中山がピッチで躍動するたびに、不思議と日本サッカーの歴史が書き換えられる。そういう星の下に生まれた人なのだろう。ただ、クロアチア戦の、あの瞬間だけはいまも時計の針が止まったままだ。
「もう、いつものダフりだったら(笑)」
完璧な動きからフリーとなり、渾身の力を込めて放った一撃は、GKラディッチの左手にはじかれてしまう。その場にうずくまり、両手で激しく地面を叩く中山の姿がいまも脳裏にこびりついて離れない。
「シュートに持ち込むまでは良かったけれど、キーパーの位置までは見えていなかった。映像を見返すと、相手は前に出てきていたから頭上を狙える。でも、実際に狙えたのかと言えば、自分の技術では難しかっただろうなぁ。
よく見ると、右のちょい外側にコースが空いていた。ただ、体は逆(左)の方向にあるから、狙える角度は狭い。これも難しい。じゃあ、ほかに何ができたのか。
あそこで、もうちょっと強く打てなかっただろうかと。シュートそのものを。たとえ左手に当たってもパワーで押し切ることができたかもしれない。いや、あの場面でも強く打っているはずなんですよ。でも、もっと強く打てなかったか。
あとは、なぜダフらなかったのかと思いますよ。当たり損ねのシュートなら入っていたでしょうね。完璧にボールをミートしたからこそ、逆に止められてしまった。もう、いつものダフりだったら(笑)」
入り口は常に同じでも、出口の見えない迷宮である。そうと知りながら、いまもって挑戦せずにはいられない。まるで風車に挑むドン・キホーテのように。
「あの映像、当時よりも最近のほうがよく見ているかもしれない。中学時代の同級生と飲みに行ったときにも、あの動画を見せながら、あそこはああだった、こうだったなんて説明したりしてね。
あれが決まっていたら、ワールドカップ初勝利もあったかもしれない。クロアチアは暑さもあって、けっこうへばっていましたからね。ワールドカップの初ゴールが初勝利をもたらす可能性があったんですよ。それを考えると、もう……ね」