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「なぜダフらなかったのか…」中山雅史の頭から離れない“幻のゴール”とは?【4戦連続ハットトリックから23年】 

text by

北條聡

北條聡Satoshi Hojo

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2021/04/29 11:04

「なぜダフらなかったのか…」中山雅史の頭から離れない“幻のゴール”とは?【4戦連続ハットトリックから23年】<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2021年1月、事実上の現役引退を決めた中山雅史。53歳まで走り続け、多くの記録を残した

「骨が折れたままプレーしていたのは事実ですが」

 そんな中山の記録と記憶の双方にまたがるゴールと言えば、やはり「あれ」ということになる。ワールドカップ本大会における日本代表の初ゴールだ。

 あれは1998年6月26日だから、もう22年前のことになる。フランス・ワールドカップのグループステージ第3戦。相手は同じ初出場のジャマイカだった。

「日本サッカーに何か貢献できたものがあるとすれば、やっぱり、あのゴールということになるんでしょうね。

 ただ、あのゴール……多くのみなさんが『中山は骨が折れた状態でも点を取った』と思ってくれているみたいなので、なるべく言わないようにしてきましたけど、実際は折れる前ですからね。まぁ、これが活字になったら、みなさんの知るところになっちゃいますけど(笑)。

 あのあとに骨が折れたままプレーしていたのは事実ですが、折れているとは思っていなかった。すでに交代枠を使い切っていたし、痛みはありましたが脂汗を垂らしながら、必死にやり続けましたよ。

 ともあれ、あの1点はすでに敗退が決まった消化試合でのもの。しかも、0-2と負けている状況でしたからね。とても諸手を挙げて喜べるようなものではなかった。やっぱり勝ち抜きをかけた試合で、日本の勝利につながるようなゴールを味わいたかったですよ」

「あれが決まっていたら、とっくにやめていたかも」

 だから、あの歴史に残る一撃も生涯最高のゴールにはなり得なかった。当時30歳。一度はワールドカップに出たいという願いは叶ったものの、新たな欲がふつふつと頭をもたげていた。

「ジャマイカ戦後にシャワーを浴びながら井原(正巳)と『もう1回出たいよね』って話したのを覚えていますよ。それまではアジアをどう勝ち抜くかということが目標でしたけど、あのフランス大会を機に新たな目標ができましたから。世界でどう戦うかというテーマが。ただ……」

 そう言ってひと呼吸ついたあと、意外な言葉が中山の口を突いた。

「あれが決まっていたら、とっくに(現役を)やめていたかもしれない。もう有頂天になって……ね」

【次ページ】 中田英寿からパスが届き、あとはゴールに蹴り込むだけ

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