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「なぜダフらなかったのか…」中山雅史の頭から離れない“幻のゴール”とは?【4戦連続ハットトリックから23年】
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/04/29 11:04
2021年1月、事実上の現役引退を決めた中山雅史。53歳まで走り続け、多くの記録を残した
「あのときの感覚がずっと残っているんですよ」
結局、残り13分に決勝点を奪われ、最終スコアは0-1。連敗を喫し、日本の早すぎる敗退が決まった。試合後に帰り支度をして入場口の日陰に座り込んだときのことを、いまでも鮮明に覚えているという。
「ぼんやりピッチを眺めながら、自分はまだまだ足りないんだなぁと。そんなことを考えているときに風がふわぁと吹いてね。あぁ、涼しいなぁって。あのときの感覚がずっと残っているんですよ」
もう、やめられない、止まらない。そんなサッカー人生を告げる風だったか。それから2年後の2000年、中山はJリーグで自身二度目の得点王に輝くことになる。さらに2年後の2002年には34歳とベテランの域に達しながらも、あの日韓ワールドカップの最終メンバーに土壇場ですべり込み、再び世界との戦いに挑んだ。
「伸びシロだけはたっぷりありますからね」
ただし、4年前とは立場が違った。出場機会を得たのはグループステージ第2戦のロシア戦のみ。それも、20分足らずのことである。それでも、全力でピッチを走り、最後までゴールを狙い続けた。
「この僕に初めて日本代表で生き残っていく自信を与え、進むべき方向性を示してくれたのが途中出場で決めた韓国戦のゴール(1992年ダイナスティカップ)なんですよ。その前の北朝鮮戦で途中出場の機会を得ながら、アップ不足で全然走れなかった。それからですね、どんなときでも万全の準備をしておくようになったのは。
ただ、ロシア戦ではアップのときに走りすぎちゃったかな。その姿をスタンドから見ていた知人が『あんなに走って大丈夫か?』と思っていたみたいで」
やると決めたら、とことんやり抜くあたりが中山らしい。いまも昔も、おそらく、これからもそうなのだろう。
「いま、あらためて考えると、自分にとってのゴールとは終わりじゃなく、始まりだったなと思うんです。決めたゴールはもちろん、逃したゴールもひっくるめて。
一つひとつ積み重なるたびに新しい何かが始まる。その何かが新しいゴールにつながって、多くの人たちの心を動かし、心の底から喜んでもらえる。これほど幸せなことはないですよね」
だから、まだまだやめられないらしい。最後に中山節でこう締めくくった。
「もっと楽しくやりたい。この先もできる保証はないけれど、その域まで何とかたどり着けないかなぁと。伸びシロだけはたっぷりありますからね。ただ、時間と半月板はないけれど(笑)」
hair & make-up by Naoko Takayanagi/styling by Kyoko Takahashi/衣装協力:エトロ〈エトロジャパン〉
中山雅史Masashi Nakayama
1967年9月23日、静岡県生まれ。'90年に筑波大からヤマハ発動機に入社。同年に代表デビューを果たす。磐田では3度のリーグ制覇に貢献し、Jリーグベストイレブンには4度選出された。札幌移籍後、'12年に一度は引退を表明も、'15年に沼津で現役復帰。178cm、72kg。