JリーグPRESSBACK NUMBER
声援なしに慣れたくないが… 湘南・谷晃生や清水・権田修一ら“守護神の声”に注目したい理由【カメラマン視点で見るJリーグ】
posted2021/05/01 06:00
text by
原壮史Masashi Hara
photograph by
Masashi Hara
声援のないスタジアムというのは、いつになっても慣れない。慣れてはいけないのではないか、とさえ思う。
もちろん、今は我慢の時だ。それは誰もが認識しているし、スタジアムに足を運ぶ99パーセントのサポーターは素晴らしい振る舞いを続けている。スピーカーから応援歌が流されても、太鼓が解禁されて応援歌のリズムを刻んでも、歌いたくなる衝動を抑えて手拍子だけで静かにそれに加わる。
1つの何気ないプレーに対して一斉に拍手が起こるようになったスタジアムはイングランドのようで悪くないかもしれないが、イングランドであってもチャントは発生するし、試合前後のアンセムでスタジアムが1つになるのもサッカーに欠かせない光景だ。
なにより、日本のサッカー観戦が自ら望んでそういう進化を遂げたわけではないこの状況では、どうしても我慢というものが先に存在する。
当たり前になった現在の観戦スタイルだが、我慢をすることを前提としたそれは、寂しさを含んでいる。
つい声が漏れたときに感じる寂しさ
それでも、ゴール、シュートや好プレー、激しいぶつかり合いやダーティーなファウルなど、思わずスタジアム中から声が漏れてしまう瞬間というのはある。ピッチレベルでカメラを覗いていてもそういう時に、スポーツの現場に来ている、という実感が湧く。きっと、サポーターの方々もそうなのではないだろうか。つい声が漏れてしまった後に、まずいまずい、と思いながら、どこか懐かしく、そしてどこか寂しい不思議な気持ちになることがきっとあるのではないだろうか。
我慢をして静かにじっと試合を見ていることと、飛び跳ねて歌いながら試合を見ていることを比べれば、前者の方が高いレベルでプレーに集中し、スポーツ観戦という言葉に相応しいように思えるかもしれない。