ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
藤波辰爾が明かす生涯ベストバウト。
猪木へのビンタと8.8横浜文体の真実。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2020/04/15 20:00
1988年8月8日、アントニオ猪木を王者として迎えた藤波。数々の名勝負を演じてきたが、このリングの光景は今でも心に残っていると語った。
珠玉の60分は、最高の結末に。
そんな藤波の前に立ちはだかったのが、ケガから復帰し、次期挑戦者決定リーグ戦を勝ち上がってきた師匠アントニオ猪木。こうして8.8横浜で、王者・藤波vs.挑戦者・猪木のIWGPヘビー級選手権という、これまでとは逆の立場での師弟対決が実現したのだ。
この試合で藤波と猪木は、クラシックな技と技、力と力、気迫と気迫がぶつかり合う、新日ストロングスタイルの真髄とも言える試合を展開。そして稀代の天才レスラー2人が、持てる技術と気力を全て出し尽くすと、時間はあっという間に過ぎていき、珠玉の60分フルタイムとなった。
結果だけ見れば、藤波のドロー防衛。猪木は王座を奪回することができず、藤波は猪木を超えることができなかった。それでも藤波は、「いま思えば、最高の結末になった」と語る。
“勝ちたい”よりも“守りたい”。
「僕は、丸坊主の新弟子時代から猪木さんに仕えてきたから、“猪木さんに勝ちたい”という気持ちももちろんあるけど、“猪木さんを守りたい”という気持ちと両方があった。だから勝てなかった悔しさより、あの試合で猪木さんを蘇らせたよろこびがあったんだよ。あの日の猪木さんの動きを見て、『終わったな』と言う人は誰もいないでしょう。あれがアントニオ猪木なんですよ」
この時、猪木は45歳。その年齢であれだけの濃密な試合内容で60分を闘い抜いた猪木のすごさを、藤波は身を以て感じていたのだ。
「あの時、8月だから夏のいちばん暑い時期でしょ? しかも当時の横浜文化体育館にはクーラーがなかったの。それでリングはテレビ用のライトで照らされて、リング上は40℃以上あったでしょう。そんな中で1時間闘ったらね、冗談抜きにあの後2日間おしっこが出なかったから。脱水症状を起こしていたんだろうね。それくらい出し切った。そういう試合を、あの歳でやった猪木さんはやっぱりすごいよ。
自分自身、あの時は猪木さんに対する気後れもまったくなかった。自分が思うがまま、本能のままに闘えたのがあの60分。だから、最後はすごく清々しかった。もちろん『藤波は結局、猪木さんに勝てなかった、超えられなかった』と言う人もいますよ。自分自身、そこに悔いがないと言ったらウソになるけど。そういった勝敗を超えて、あの試合は自分にとって最高の宝だね」
この試合は、猪木と藤波の長年にわたる師弟関係の集大成だった。そしてすべてを出し尽くした試合後、猪木はチャンピオンベルトを手に取り、自ら藤波の腰に巻いてやった。その瞬間、すべてのわだかまりは氷解。無言で抱き合う師弟の頬を涙が伝った。