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國母和宏の表現者としての“ヤバさ”。
150cmの板で示す未知なる可能性。
posted2020/04/14 11:30
text by
野上大介Daisuke Nogami
photograph by
Nick Hamilton
「『RIDER OF THE YEAR』を受賞できたことは、自分にとってものすごく大きな意味がある。オレの英語はイケてないから多くは話せないけど(一同笑)、これだけは言わせてほしい。スノーボードは最高にクールだ。この賞は自分が突き進んできた人生の確固たる証になるだろう」
2018年12月14日。世界中から名だたるプロスノーボーダーが一堂に会したステージで、國母和宏は英語でこのようにスピーチした。米コロラド州ブリッケンリッジで開催されたスノーボード界のアカデミー賞に位置づけられる授賞式「RIDERS POLL」において、最優秀選手賞を獲得したのだ。
同年2月に平昌五輪ハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢の報道は国内で過熱したが、欧米主体のスノーボード界で事実上の世界一として認められた國母の快挙を報じるマスメディアは皆無だった。
それはなぜか。誤解を恐れずに言えば、日本におけるスポーツとは競技のみを指すからだろう。ハーフパイプやスロープスタイルといった競技スポーツとしてスノーボードは認知されているが、國母はその基準となる順位や得点を一切持っていない。彼は競技者としては第一線から退き、現在は“表現者”としてプロ活動しているからである。
中学生のころから撮影に参加。
周知の通りだが、國母は2010年バンクーバー五輪で決勝に進出し、同年からUS OPENでは2連覇を果たすなど、ハーフパイプの競技者としても世界トップに君臨した時期があった。
4歳で初めてボードにまたがった國母少年は小学時代から大会を転戦していた。ただし、その直前にはハーフパイプの練習ではなく、大会に出場する同世代の仲間たちと林の中で戯れながら遊ぶ日々も過ごしてきた。
2003年、中学2年時にUS OPENで2位となり一気に頭角を現すと、2006年のトリノ五輪でオリンピック初出場。ワールドカップで優勝するなど競技面の活躍で世間から注目を集める一方で、中学3年のときから世界最高峰の映像プロダクションに滑りを認められ、撮影に参加するようになっていた。高校に進学するとバックカントリーでの撮影が本格化し、ひと月以上に渡って海を越えることも。滑走ポイントを見誤れば命を落としかねない大自然の中、言葉の壁を乗り越えながら滑り続けた。