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伝説の86年W杯ブラジル対フランス。
ジーコ、プラティニとサッカーの美。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph bySports Illustrated/Getty Images
posted2020/03/31 11:00
両チームの名手、ジーコとプラティニがPKを失敗する。そのドラマ性もまたこの一戦を美しくした。
手負いのジーコ、盤石のフランス。
セレソンは、グループリーグを全勝で勝ち上がり、ラウンド・オブ16でポーランドを4-0と粉砕。4戦全勝で勝ち上がっていた。
1982年大会でジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの黄金のカルテットが奏でる“芸術フットボール”で世界を魅了した。にもかかわらず2次リーグでイタリアの前に敗退。4年前の雪辱を誓っていた。
ただし、かつてのカルテットのうち健在なのはソクラテスだけ。セレーゾは招集外で、ファルカンは控えに回り、ジーコは左膝の故障が完治しておらず、後半途中からしかプレーできなかった。それでも、カレッカ、ミューレルという破壊力十分の若手FWが加わり、攻撃的なスタイルで地元観衆を魅了していた。
一方、フランス代表は2年前のユーロ(欧州選手権)王者。“将軍”ミシェル・プラティニが健在で、小柄なテクニシャンのアラン・ジレスとジャン・ティガナ、長髪の野性的なストライカー、ドミニック・ロシュトーらがおり、流麗なパスをつなぐエレガントなチームだった。ラウンド・オブ16で前大会優勝のイタリアに快勝しており、「フランスのフットボール史上最強」と言われていた。
セレソンの準ホームのように。
グアダラハラのハリスコ・スタジアムは、1970年大会でセレソンが決勝を除く5試合を戦って全勝し、この大会でもずっとここでプレーして勝ち続けていて、セレソンの“準ホーム”のような場所だった。
スタンドは2階席まででアステカ・スタジアムよりずっと小さかったが、ピッチまでの距離が短くて非常に見やすい。ピッチはまるで緑の絨毯を敷き詰めたようによく整備されていた。
欧州のゴールデンタイムに合わせて、試合開始は正午。ファンファーレが鳴り、総立ちの観衆の地鳴りのような歓声と拍手に迎えられて両チームの選手が入場してきた。
いよいよ、試合が始まった。