熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
伝説の86年W杯ブラジル対フランス。
ジーコ、プラティニとサッカーの美。
posted2020/03/31 11:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Sports Illustrated/Getty Images
メキシコシティから夜行バスに乗り、早朝、グアダラハラに着いた。もう34年ほども前となる1986年6月21日。ワールドカップ(W杯)メキシコ大会準々決勝のブラジル対フランスを観戦するためだ。
「一体、どんな試合になるんだろう」と想像して、なかなか寝付けなかった。
筆者は大学卒業後に会社勤めをしていたが、留学を思い立って退職。サハラ砂漠のプラント建設現場で半年間、フランス語通訳として働いて資金をこしらえた。ところが準備不足で希望していた大学に入学できず、帰国。その後の身の振り方を考えていたとき、W杯開幕が近づいてきた。
開催地は1970年大会でキング・ペレ率いるブラジル代表(セレソン)が躍動し、通算3度目の優勝を遂げた陽気な国メキシコだ。「これは行くしかない」と考え、留学資金を“流用”して旅立った。
簡単に手に入ったW杯のチケット。
今ではとても考えられないが、当時はW杯のチケットを手に入れるのは簡単だった。メキシコ行きの航空券を買った旅行代理店から十数試合のパッケージを購入してバウチャーを受け取り、現地でチケットに交換してもらった。
メキシコシティの中心ソカロ広場から歩いて数分の安ホテルを根城に定め、イタリア対ブルガリアの開幕戦を皮切りに、2日に1試合くらいの頻度で観戦した。
メイン会場のアステカ・スアジアムはなんと5階席まであり、収容人員は当時日本で最大だった国立競技場の2倍以上。その大きさに度肝を抜かれた。試合のレベルも、Jリーグ創設前の日本やアジアのレベルとは異次元。「これが本物のフットボールだったのか」と驚嘆する毎日だった。