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大迫傑には自尊心と自重が同居する。
東京マラソン、会心の完勝劇の裏側。
posted2020/03/03 11:40
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Nanae Suzuki
これまで大迫傑とのワン・オン・ワンでのインタビュー、そしてレースの取材で「感心」したことが何度かあった。
最初は2010年11月、彼が早稲田大学競走部の1年生のときで、箱根駅伝を前にしてその意気込みを聞く――はずだった。ところが、目がクリッとした1年生は顔色ひとつ変えずにこう話した。
「僕は駅伝に興味がないので」
面食らった。
19歳でそう言い切れることにも感心した。
いまもそうだが、関東の大学に進学してくる選手は、箱根駅伝で走ることを目指す場合が多い。それに対して大迫は、いちばんいい競技環境を求めた結果、渡辺康幸監督(当時)が指導する早大への進学を決めたという。
「いい環境だったら、別に実業団でも構わなかったんですよ」
駅伝には興味はないと言いつつも、2011年の箱根駅伝では、当時の相楽豊コーチ(現監督)のアイデアで1区に起用され、序盤から飛び出し、早稲田を優勝に導いた。
与えられた仕事を粛々とこなす1年生に、とにかく感心した。
「わきまえる」という選択肢。
2回目は、2017年の福岡国際マラソンの時である。
私はこのときのレースをNumber Webでレポートしているが、(https://number.bunshun.jp/articles/-/829421)2時間7分19秒で3位に入ったこのレースは、ひじょうに中身の濃いものだった。
ペースメーカーが外れた30km以降、外国人選手ふたりが30kmから35kmまでの5kmを14分37秒にまで引き上げた。
フルマラソン2回目だった大迫は、ここで「わきまえた」選択をする。無理にふたりに合わせるのではなく、35kmまでの5kmを14分55秒でまとめ、35kmから40kmを15分18秒、ラストの2.195kmを6分58秒で乗り切って2時間7分台の好記録をマークした。
落ちついたレースぶりだけでなく、会見での言葉が、とても印象的だった。