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大迫傑には自尊心と自重が同居する。
東京マラソン、会心の完勝劇の裏側。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byNanae Suzuki
posted2020/03/03 11:40
大迫傑ほどのランナーにとっても、オリンピックへの道は簡単ではなかった。それだけに本番への期待は高まる。
井上の左横を軽やかに抜き去った。
このコメントは、2017年の福岡国際での発想と重なる。自重しつつ、後半に備えるという成功体験を大迫は持っていた。
時計を何度か確認していたのは、自分の体感とタイムが合致しているかを確認していたのだろう。
この両者の判断が、30kmから35kmまでの差になって表れる。力を溜めていた大迫は前の集団との差を見る見る間に詰め、32km過ぎに追いつく。
そして、そこからの仕掛けがしびれた。
集団と並走するのは眼中になかったらしく、大迫は井上の左横を軽やかに抜き去っていった。井上に「なんとかつこうとしたんですが、脚が動かなかったです。大迫さん、ハンパないです」と言わしめた瞬間だ。
大迫の方はといえば、
「周りの選手がきつそうだったので、ちょっとチャレンジしてみようかと」
この瞬間、大迫は東京オリンピックに大きく近づいた。
マラソンにおける「格付け」。
陸上は「対人競技」である。
100mから400mまでは、定められたレーンを走る自分との戦いだ。
しかし、800m以上からマラソンまでは他者との駆け引きがレースに影響を及ぼす。勝ち方も様々だが、スパート、仕掛けの方法によっては、相手に「この人には二度と勝てない」と精神的なダメージを与えることも可能だ。
私は、大迫が井上の左横のルートを選択したことにしびれた。
これは、大迫から井上への強烈なメッセージであり、ここに陸上の醍醐味がある。