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祝喜寿アントニオ猪木の伝説検証!(4)
数々の名勝負とこれからの夢。

posted2020/02/29 19:00

 
祝喜寿アントニオ猪木の伝説検証!(4)数々の名勝負とこれからの夢。 <Number Web> photograph by Essei Hara

勝つためにはすべてを使う! チョチョシビリ戦で、相手の道着に噛みついてまで戦っていたアントニオ猪木。

text by

原悦生

原悦生Essei Hara

PROFILE

photograph by

Essei Hara

 アントニオ猪木77歳――喜寿を迎えた「燃える闘魂」の勇姿が、アントニオ猪木の喜寿を祝う会」で見られました。
 NumberWebでは、喜寿を迎えてますます盛んなこのレジェンド・ファイターの数多くのエピソードを、写真家・原悦生の文章で振り返ることで祝辞に代えるべく、コラムを編んでみました。果たして“あの伝説”の真相は何だったのか……。最終回のテーマは「アントニオ猪木、名勝負数え唄」です。

 猪木は様々な種類の試合を戦ってきた。

「リングっていうのはロープの中だけじゃないんですよ」

 使えるものはなんでも使うというのが、猪木流のプロレスだった。鉄柱だろうが、ロープだろうが、そのロープをつなぐ金具だろうが、そして、自分の体のどこでも使えるところはすべて使って猪木は戦ってきた。

 情熱的に、いや、時には“狂ったように”猪木は相手に向かっていった。

「ご自身が考える名勝負はどれですか?」と人に問われても、「それはお客さん、ファンが決めるものだから」といつも猪木は答えている。

 猪木が負けた試合は少ないが――負けた試合のインパクトの大きさを、筆者はよく覚えている。敗戦から這い上がってくる猪木を、これまで何度も見てきたからだ。

 最も有名な試合だと……1983年6月、猪木のために開催されたはずの第1回IWGP(インターナショナルレスリンググランプリ)の決勝戦だろう。

 ハルク・ホーガンにアックスボンバーでKOされた、いわゆる「舌だし失神事件」だ。あれは本当に壮絶なKO負けだった。

 その後のホーガンは、猪木と戦ったり、タッグを組むことによって成長し、アメリカで誰もが知るビッグネームになることができたのだ。

伝説の試合では、見事にKOされた。

 1989年4月、新日本プロレス初の「東京ドーム大会」が開催された。

 この日のメインイベントにはノーロープの円形リングが用意されていた。相手は旧ソ連のグルジア(現ジョージア)出身の柔道家ショータ・チョチョシビリ。

 結果として猪木は、そのチョチョシビリの裏投げ3連発にKOされている。

【次ページ】 柔道着を噛んでまで戦う、猪木の異常な執念。

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