Jをめぐる冒険BACK NUMBER
柿谷曜一朗と濃密な15分45秒の対話。
あの移籍騒動とセレッソ愛、30歳。
posted2020/02/21 18:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Kiichi Matsumoto
与えられた時間は15分。だが、それで十分だった。
彼にどうしても訊きたいことは、このひとつしかなかったからだ。
この2年間、セレッソ大阪でプレーする意義と、どう向き合ってきたのか――。
J1各クラブの主力選手と監督が一堂に会してメディアの取材を受けるキックオフカンファレンス。その開始前、DAZNの計らいで主要メディアに個別インタビューの場がセッティングされた。
『Number Web』のインタビュアーに指名されたとき、取材相手として真っ先に希望したのが、柿谷曜一朗だった。
柿谷から溢れんばかりのセレッソへの想いと、しかし、それゆえに抱える苦悩や葛藤について話を聞いたのは2017年の夏だったから、今から2年半前になる。
メインテーマは直後に迫ったセビージャとの親善試合についてだったが、いつしか話題はチームのこと、そして、彼自身のことへと移っていった。
「タイトルを獲ったことがないのはすごく悔しいことやけど、じゃあ、たまたま1回獲れればいいのかっていうと、そうじゃない。一時の喜びや幸せではなくて、ずっと続く喜びをこのチームで味わいたい。僕はセレッソを安定して強いチームにしていきたいと思っているし、そんなチームの中心でいたいと思っていて」
少しだけ力を込めて語った柿谷は、少しだけ表情を曇らせて、こう続けた。
「ほんまに強いチームって、僕の勝手なイメージかもしれないですけど、揺るぎないスタイルがあると思うんです。でも、セレッソはクルピのときにひとつのスタイルを作ったのに、監督が代わるたびにサッカーがころころ変わって。やっぱり自分のサッカー観と合う、合わないっていうのもあるし……」
愛くるしい笑顔を見る機会は多くない。
その後の2017年シーズン、セレッソはルヴァンカップと天皇杯を制し、ふたつのタイトルを掴んだが、柿谷自身の気持ちが晴れたわけではないようだった。
翌'18年シーズンには彼の左腕からキャプテンマークが消えた。夏には移籍騒動まで起こした。'19年シーズンには新しい監督が来たが、柿谷の立ち位置が大きく変わったわけではない。
ゴール数は'17年シーズンが6、'18年シーズンは4、'19年シーズンは3にとどまった。バーゼルに旅立つ前、'13年シーズンに見せた天才的なトラップによる抜け出しからのゴールと、その後の愛くるしい笑顔が見られる機会は、そう多くない。