Jをめぐる冒険BACK NUMBER
柿谷曜一朗と濃密な15分45秒の対話。
あの移籍騒動とセレッソ愛、30歳。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKiichi Matsumoto
posted2020/02/21 18:00
30歳の節目を迎えた柿谷曜一朗。セレッソ大阪の象徴的存在として、唯一無二の創造性をピッチで表現してほしい。
心の底から面白いと思えるサッカーを。
実はその間、柿谷にインタビューするチャンスに2度、恵まれそうになったが、いずれも実現しなかった。
1度目は'19年5月、『Number』本誌の特集「日本サッカー天才伝説。」の中でインタビューを受けてくれることになったが、直前にチームスケジュールが変わり、取材予定日がオフになった。校了まで時間がなかったため、断念せざるを得なかった。
2度目は'19年11月、『サッカーダイジェスト』で担当しているインタビュー連載において。だが、シーズン終盤だったため、日程の調整がつかなかった。
こうして迎えた3度目の機会。果たして、あのときの想いは、どう変わったのか。
質問を投げかけると、柿谷はコクリと頷いて喋り始めた。
「当時、話したことは本当の気持ちで、今も変わらないですね。あのとき、タイトルはふたつ獲れましたけど、正直、今に何も繋がっていない。もちろん、あのシーズン、団結力や結束力はあったけど、獲るべくして獲ったタイトルだったのか、あのサッカーがセレッソのスタイルとして定着していくのかといったら、僕にはそうは思えなかった。
心の底から面白いと思えるサッカーをやらないと、その先、チームも個人も伸びることはないんじゃないかって。試合を見た人がもう一度、見たいと思ってもらえるようなサッカーをするクラブ。僕はセレッソがそういうクラブやと思って育ってきたし、今のユースの子たちだって、そう思ってセレッソに入ったはずで」
のびのびやれる状況ではなかった。
だからこそ、一度は巣立った柿谷も、愛するセレッソを本当に魅力的なクラブにするために、欧州から戻ってきたのだ。
「だから、キャプテンをやらせてくれとも言ったし。このクラブが本当に魅力的なクラブになるとき、自分が先頭に立っていたかった。言動で示されへんかったかもしれないけど、それは本当の気持ちで。
自分も試合に出られなかったりしたから、そのうちいろんなことを考えるようになっちゃって。サッカーに集中してなかったわけではないけれど、のびのびやれる状況ではなかった」