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クルピのセレッソ愛と才能育成論。
「香川、乾、柿谷の成功は……」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2020/01/02 11:50
香川真司、乾貴士、清武弘嗣、柿谷曜一朗……これほどまでセレッソでアタッカーが育ったのはクルピがいたからこそである。
手持ちの選手を鍛え上げるしかない。
――セレッソでは、どのようにして強化を図ったのですか?
クルピ「他クラブのように大物外国人選手を獲得する財力はなく、手持ちの選手を鍛え上げるしかなかった。紅白戦を頻繁に行なって実戦的な能力を身に付けさせ、選手間の競争を促した。ブラジル流の体調管理の手法を持ち込み、試合後、個々の選手のシュート、パス、クロスの数と成功率などのデータを見せて成長を促した」
――この年のセレッソの年間成績は、前年度より順位を2つ上げて11位。年末、セレッソを退団して帰国します。
クルピ「『もっと良い成績を残せたはず』という思いもあったが、ベストを尽くした。日本の長い伝統、優れた文化、日本人の高いモラルなど学ぶことがとても多く、人生の中で極めて貴重な経験ができたと思った」
――1998年、クルゼイロを率いてブラジルリーグで準優勝。その後、強豪クラブの監督を歴任し、2007年、10年ぶりにセレッソ大阪へ復帰します。
クルピ「1997年に指導した選手で強化部長になっていたサトシ(梶野智)から『J2へ落ちて苦しんでいる。J1へ復帰するため力を貸してほしい』と口説かれた。セレッソ、Jリーグ、日本、大阪の町に強い愛着があり、快諾した」
――当時のJリーグとセレッソの状況をどう思いましたか?
クルピ「Jリーグにはかつてのような大物外国人選手はいなくなっており、各クラブは下部組織での選手育成に力を入れ、その成果が出始めていた。セレッソは、練習施設と設備が格段に良くなっており、優秀な若手が育ちつつあった」
「シンジ、君はアタッカーなんだ」
――その筆頭が、香川真司ですね。彼の第一印象は?
クルピ「シンジのプレーを初めて見たのは、監督就任後、最初の試合を数日後に控えた練習試合か紅白戦だったと思う。控えチームのボランチだったが、後方からパスを受けるとワンタッチですぐに前を向く。プレッシャーをかけられても、ボールを失わない。
高度な技術を持ち、敏捷で、周囲も良く見える。巧みなドリブルでボールを前へ運び、多彩なパスを繰り出す。彼の才能を最大限に活用すべきだと考え、『ボランチではなく、もっと前のポジションでプレーしてくれ』と伝えた。少し驚いたようだった(笑)」
――そして、監督復帰後最初の試合で、攻撃的MFとして先発させます。当時、香川は18歳。若くて経験不足でしたが、不安はなかったのですか?
クルピ「全くなかった。シンジの能力からしたら、デビューするのが遅すぎたくらい。この試合はまだ他の選手との連携が不十分だったが、プレー内容は悪くなかった」
――当時の彼の課題は?
クルピ「ボランチの頃の癖が抜けないのか、『何が何でもゴールを奪う』という気持ちが薄かった。『君はアタッカーなんだ。もっと貪欲にゴールを目指せ』、『得点、アシストという結果を出せ』と言い続けた」