熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
クルピのセレッソ愛と才能育成論。
「香川、乾、柿谷の成功は……」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2020/01/02 11:50
香川真司、乾貴士、清武弘嗣、柿谷曜一朗……これほどまでセレッソでアタッカーが育ったのはクルピがいたからこそである。
柿谷、山口、乾、清武の成功は……。
――以後、香川は急成長を遂げ、セレッソの攻撃の中心となり、ひいては日本代表の主力に成長。2010年、ドルトムント(ドイツ)へ移籍します。その後の欧州クラブと日本代表での活躍は予想通りでしたか?
クルピ「シンジが欧州クラブでも日本代表でも主軸が務まる能力があることはわかっていた。彼の成長を手助けできたとしたら、とても誇らしい」
――香川以外にも、柿谷曜一朗、山口蛍(現ヴィッセル神戸)、南野拓実(ザルツブルク→リバプール)ら多くの若手をデビューさせ、他クラブから獲得した乾貴士(現エイバル)、清武弘嗣らをブレイクさせて日本代表へ送り出しています。
クルピ「彼らの成功は、あくまでも彼らの才能と努力の賜物だ。ただ、私は若手選手をでピッチに送り出すことを恐れない。フットボールに年齢は関係ない、というのが信条だから」
――セレッソ時代のJリーグ最高成績は、2010年のJ1で3位。タイトルには手が届きませんでしたが、日本代表に多くの選手を送り出したことが高く評価されています。
クルピ「ファンにタイトルをプレゼントできなったのが心残りだが、多くの優秀な選手を指導できたことは大きな喜びだ」
ガンバの監督就任、今思うこと。
――2013年末にセレッソを退団。翌年、アトレチコ・ミネイロを率いてコパ・ド・ブラジルを制覇し、2018年、ガンバ大阪の監督となります。長くセレッソで監督を務め、数年の間を置いたとはいえ、宿敵へ行くことに迷いはなかったのですか?
クルピ「ブラジルで、私は同じ町(ベロ・オリゾンテ)に本拠を置くアトレチコ・ミネイロで5回、クルゼイロで3回、監督を務めている。日本でも問題はないと思ったのだが、それは間違っていた」
――どういうことですか?
クルピ「日本人は感情をあまり表に出さないが、それと本心とは別だ。セレッソ、ガンバの両方のファンが、私のガンバ監督就任を快く思っていないのを察したんだ」
――そのことが、ガンバでの成績に影響したと思いますか?
クルピ「それはわからない。主力選手の故障が多かったし、私が目指すスタイルをチームに植え付けるのに手間取ってしまった。ガンバを退団して帰国する際、驚いたことに、空港にセレッソのファンが見送りに来てくれていた。胸が詰まった。このとき、自分が大きな過ちを犯したことを悟った」