熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
クルピのセレッソ愛と才能育成論。
「香川、乾、柿谷の成功は……」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2020/01/02 11:50
香川真司、乾貴士、清武弘嗣、柿谷曜一朗……これほどまでセレッソでアタッカーが育ったのはクルピがいたからこそである。
サンパウロとの激闘は忘れられない。
――当時、理想とした監督は?
クルピ「U-20代表のときのコーチで、後にセレソンの監督になったクラウジオ・コウチーニョ。自身はプロ選手の経験はなかったが、フットボールを科学的に研究していた。指導者の命令に盲目的に従うのではなく、自分の頭で考え、状況に応じてプレーすることを選手に求めた。この考え方にとても共感した」
――中小のクラブで実績を積み、1992年、南部の中堅クラブにすぎないクリシウマを率いてコパ・リベルタドーレスでベスト8入りの快挙。その手腕が高く評価されました。
クルピ「標高3700mを超えるボリビアの高地での過酷な試合などを苦労しながら勝ち上がり、偉大なテレ・サンタナ(1982年と1986年のW杯でセレソンの監督を務め、サンパウロを率いて1992年から2年連続で世界クラブ王者)率いるサンパウロと激闘を演じた。生涯忘れられない思い出だ」
カズ、ラモス、名波、秋田が……。
――1996年、クルゼイロを率いて州選手権とコパ・ド・ブラジルで優勝。以後、国内トップクラスの監督と認められます。クルゼイロは契約延長を熱望したが、あなたは誕生間もないJリーグのセレッソ大阪を選んだ。これには、ブラジルのフットボール関係者の誰もが驚きました。
クルピ「私の出身地であるパラナ州には日系人が多く、以前から日本とその文化に強い憧れを抱いていた。妻と2人の娘に相談したところ、皆、日本行きに大賛成で、それが決め手となった」
――当時、日本のフットボールについて知識はあったのですか?
クルピ「ジーコ、ストイコビッチ、ドゥンガ、ジョルジーニョら世界的なスター選手がJリーグに参戦し、大いに盛り上がっていると聞いていた」
――初めて日本へ渡り、日本での生活、Jリーグの運営、当時のセレッソの状況などをどう思いましたか?
クルピ「最初は言葉、習慣、考え方の違いにかなり戸惑った。しかし、日本の秩序正しさ、治安の良さ、清潔さ、日本人の思いやりなどに驚愕し、感動すら覚えた。当時のセレッソの練習施設や設備は現在ほどではなかったが、スタッフは有能で意欲十分だった。Jリーグも、誠実かつ真摯に運営されていた。スタジアムとその設備もまずまずだった」
――当時の日本人選手では、誰が印象に残りますか?
クルピ「ヴェルディ川崎のカズ(三浦知良)とラモス(瑠偉)、ジュビロ磐田の名波(浩)と中山(雅史)、鹿島アントラーズの秋田(豊)らだね」