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中島イシレリと妻・理恵子さんの7年。
「代表の支柱」を支える家族の存在。
text by
山川徹Toru Yamakawa
photograph byNanae Suzuki
posted2019/11/13 20:00
中島イシレリは大きくて、強くて、しかし家族と話すときにはなんとも柔らかい雰囲気を放っていた。
「なに? この毛むくじゃらで、大きい人は」
一方の中島イシレリは、1989年にトンガ王国で生をうけた。2008年に流通経済大学の留学生として来日。大学卒業後は、NECグリーンロケッツでラグビーを続けていた。
出会いの場は、千葉県柏市の居酒屋。2人は別々に呑んでいたが、共通の友人がいると分かり、会話を交わした。当時の中島は186cm、150kg。理恵子さんは第一印象を「なに? この毛むくじゃらで、大きい人は……って驚きました」と苦笑いして振り返る。
当初、会話は英語だった。だが、あるとき理恵子さんは「待てよ」と不思議に感じた。
「流経大卒って言っていたよな……」
試しに日本語で話しかけてみると、中島は普通に日本語で答えた。
「いまほどは日本語が流暢じゃなかったから、恥ずかしかったのかもしれません」
無邪気でおおらか、そしてラグビーに真摯に取り組む姿に理恵子さんは惹かれていく。
2人は2014年に結婚するのだが、理恵子さんの父は、ひとつ条件を付けた。理恵子さんが結婚後も仕事を続けること。プロアスリートは華やかな反面、ケガのリスクが付きまとう不安定な職業だ。それは、娘を思う父の親心だった。
「心配してくれたんだと思います。ただ高校時代に留学もしていたし、叔母も国際結婚をしていたから、反対はありませんでした。それにトンガの人は、日本人と似ているんです。謙虚で礼儀正しく、年上の人を敬う。そんなトンガの国民性も私の家族の考えと合ったのかもしれません」
「アツくなったら家族の顔を思い出せ」
中島のふるさとであるトンガは、南太平洋に浮かぶ島嶼国家だ。基幹産業は農業と漁業。現金収入を求めて国外に移住する人が多い。人口とほぼ同数の10万人が国外で暮らす。中島も両親や弟妹を支えるために、ラグビー選手としての成功を夢見て、来日していた。
その覚悟や責任感とプレーが噛み合わなかったのか。トップリーガーとなった中島は、ポテンシャルを十分には発揮できずにいた。理恵子さんと知り合ったNEC時代は度重なるケガに悩まされた。2015年に移籍した神戸製鋼コベルコスティーラーズでも危険なプレーで出場停止処分を受けるなど、闘争心をコントロールできず、苦労した。
飛躍のきっかけが、コーチの一言である。
「アツくなったら家族の顔を思い出せ」
理恵子さんと2人の子ども——。日本で築いた家族の存在が、持ち味の闘争心あふれるプレーに安定感を与え、日本代表へと押し上げたのである。