フランス・フットボール通信BACK NUMBER
サミュエル・エトーの引退に寄せて。
不屈のライオンのふたつの顔。
posted2019/10/23 11:15
text by
ティエリー・マルシャンThierry Marchand
photograph by
L'Equipe
しばらく前になるが、サミュエル・エトーが現役を引退した。38歳で終えたそのキャリアは、ティエリー・マルシャン記者が『フランス・フットボール』誌9月10日発売号で述べているように、「輝かしいと同時に不屈の精神に溢れ、他に比類なきものでもあった」といえる。何故ならばエトーこそは、アフリカの枠を超えた最初のグローバルなアフリカ人スター選手であったからである。彼以前のアフリカのレジェンドたちが持ちえなかった普遍性がエトーにはあった。
私(田村)が思い出すのはバルセロナ時代、戦術的な理由から自らの判断でロナウジーニョとポジションをチェンジし、チームの守備を率先しておこなっていた彼の姿である。率直なもの言いとストライカーの派手なイメージとは一見かけ離れた高いディシプリンが彼にはあった。だからこそバルサでもインテルでもあれだけの実績を残し、ジョゼ・モウリーニョの信頼を勝ち得ることができたのだろう。
監修:田村修一
常に「喜び」と共にあったサッカー選手。
「僕から『喜び』を奪ったら、それは僕のすべてを奪うことになる」
サミュエル・エトーが『フランス・フットボール』誌の読者に向けて、2006年5月に語った言葉である。アーセナルとのチャンピオンズリーグ決勝の前夜。残り時間15分(76分)にバルセロナの同点ゴールを決め、試合のヒーローのひとりとなる前の晩のことだった。
「喜び」こそは彼の原動力だった。トルコ(アンタルヤスポルとコンヤスポル)とカタール(カタールSC)での経験の後、2019年の夏に次のクラブを見つけることができなかったエトーには、もはやピッチの上に喜びは残ってはいなかった。
9月6日金曜日に、彼は自身のインスタグラムに「次の挑戦に向けてのジ・エンド」というメッセージを掲載したのだった。
率直なもの言いでよく知られていた。外交的でメディアティックな性格は、彼をアフリカのレジェンドのひとりに祭り上げた。
ディディエ・ドログバ、ヤヤ・トゥーレとともに、エトーこそは21世紀最初の20年間のアフリカを代表する偉大な選手だった。何故ならば彼ら3人は、ピッチ上の実績や勝ち取ったタイトルの他に、政治的活動をはじめスポーツの領域を超えた広範囲な活動で、人々から支持を得る術を有していたからである。