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サミュエル・エトーの引退に寄せて。
不屈のライオンのふたつの顔。
text by
ティエリー・マルシャンThierry Marchand
photograph byL'Equipe
posted2019/10/23 11:15
バルセロナ、インテル、そしてカメルーン代表の選手として、数多くの伝説を残してきたサミュエル・エトー。
エトーが持つふたつの顔とは?
エトーにはふたつの顔があった。
エキセントリックであると同時に誠実であり、人を惹きつけずにいられないと同時に耐えがたくもあった。
類稀なストライカー(所属クラブで370得点)であると同時にハッキリともの言う人間でもあった。
そうしたふたつの顔を、カメルーン代表は言うに及ばずバルサでもインテルでも持ち続けた。
肌の色をヤジられて、試合中にロッカールームに引き上げようとした最初のひとりでもあった。2006年、サラゴサでの出来事で、今日のように反差別の論議が盛り上がるずっと以前のことであった。
どんなときも有言実行。言葉と行動が常に一致した彼は、人間という意味でも、またアスリートの面からも、世界規模で輝いた最初のアフリカ人スターであるといえた。
ジョージ・ウェアはその謙虚さと節度で、エトーほどの存在感を示すことはできなかったし、ロジェ・ミラにも彼のような言葉の力がなかったうえに、クラブではフランスリーグ以外に活躍の場を見出せなかった。
ミラ、ウェアを越え、多くを得た偉大なる選手。
遥か遠くから存在を確認できる輝きが彼にはあり、経歴の華麗さにおいて他に比類がなかった。
バルサとインテルで4度のリーグ優勝と3つのカップ優勝、そして3度のチャンピオンズリーグ優勝。カメルーン代表でも2000年のシドニー五輪では金メダルにつながる同点ゴールを決め、アフリカ・ネーションズカップも2度(2000年と2002年)制覇した。アフリカ最優秀選手にも4度輝いた。
デビュー当初は“プチ・ミラ”のニックネームを与えられたが、やがてはミラを超える存在となった。
統計的(56得点はカメルーン代表史上最多得点)にもメディアティックな面からも、彼は突出した存在だった。
今年のアフリカ・ネーションズカップ直前に発売された『フランス・フットボール』誌のアフリカ特別号の歴代最優秀選手投票で、彼はジョージ・ウェアに次ぐ第2位に選ばれている。ウェアにあって彼にないのはバロンドールのタイトルぐらいだろう。とはいえバロンドールの投票では、2004年から2011年まで8年連続でポイントを獲得しているのだから、決してウェアに劣っているわけではない。むしろウェア以上にすべてを勝ち取っているのである。