【NSBC補講I】 池田純のスポーツビジネス補講BACK NUMBER
日本の部活に決定的に足りない物。
池田純が語った4つの教育方針。
posted2019/10/20 11:50
text by
池田純Jun Ikeda
photograph by
AFLO
私には、いま小学生と幼稚園の2人の子どもがいます。
中学入学も近づいてきて、日本で子どもを育てる時にスポーツの選択肢が学校の部活動を中心に限定されていることによる、可能性の狭さについて考えさせられています。
我が家の教育方針は「多様な選択肢(多様性)を与えて、自分で選ばせる(自主性)。選択肢になければはっきり自分の意見を述べる(自己主張)。選択に親は口を出さない(自己責任)」というものなので最終的には子どもが選ぶことになると思いますが、私自身としては実は、部活動、特に運動部に入ることにはあまり肯定的ではありません。
つい先日、テレビである名門大学運動部のドキュメンタリーを放送していたのですが、そこで主将が「課題は自主性を育てること。誰かに言われてやる時代じゃない」と、チーム体制の激変に伴い、それらを主将や学生アスリート自身が背負うことになった悩みについて話していました。
正直なところ、名門にもかかわらず(名門だからこそ)、あまりに低いレベルともいえる課題に悩まされていることに驚いてしまいました。
その大学や部活が特別なわけではありません。日本の学校教育や部活動はいまだに“協調性”や“従順性”、“自己犠牲”といった「しつけ」の延長線上の価値観が強くて、時代に合わなくなってきている部活動が多いことを見聞きしてきました。
中途半端なことをしている時間はない。
今は何かの世界で本当のプロにならないと生きていけない時代だと私は考えています。世界では、どんどん早い段階で自分の道を見定めて突き進む人が増えています。実力主義、合理主義の世界ではそうしないと国も個人も勝ち残れないからです。言葉を選ばずに言えば、中途半端なことをしている時間はないのです。
それなのに中学の3年間、高校の3年間という貴重な時間を、選択肢の幅広さがない環境で、なんとなく部活に充てることしか選べないというのは、時間の使い方として有効とは思えません。
そのスポーツで本当にプロや世界を目指すならば、プロの指導者がいて最高の環境が揃ったスポーツクラブでやった方がいい。そうじゃないなら何か自分の道を見つけることを優先し、空き時間にもっとゆるくスポーツに触れる環境があった方がいい。
今の時代を考えると、昭和の時代から進化を遂げていない部活動や、中高生をはじめとするスポーツ環境は中途半端に感じざるをえません。
部活動の指導者は専門家ではないし、施設や環境にもお金がかけられない。そもそも先生にとって部活は本業ではありません。