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フロンターレ精神をBリーグでも。
3連覇を狙うアルバルクGMは情熱家。
posted2019/10/05 08:30
text by
手嶋真彦Masahiko Tejima
photograph by
ALVARK TOKYO
アルバルク東京がプロバスケットボールのBリーグで、川崎フロンターレがプロサッカーのJリーグで、それぞれ2連覇中なのは単なる偶然なのだろうか――。ひょっとすると偶然ではないのかもしれない。
そう思わせる陰の功労者が、かつてフロンターレの集客プロモーション事業を牽引した1人で、その後転身したアルバルクではゼネラルマネージャー(GM)兼 事業部長として昨季までの2連覇を支えてきた恋塚唯である。
アルバルクとフロンターレに通底しているのは、もしかするとクラブやチームの土壌なのかもしれない。恋塚がフロンターレでクラブ名の由来でもある“フロンティアスピリッツ”を培い、そのいわゆる“開拓者精神”をまだ黎明期にあるBリーグで、そして2連覇を果たしたアルバルクというチームで発揮してきたのは間違いない。
向島スカウトが見つけた中村憲剛。
「よく覚えているのは、スカウト担当の苦労です」
2004年に入社したフロンターレで、恋塚は営業部に配属される。部署は違っていたが強い刺激を受けた先輩は、新戦力のスカウトを担当する向島建(タツル)だった。
「タツルさんが探していたのは原石です。磨きを掛ければ光り輝く原石でした」
なぜかと言えば、すでに光り輝いていた新戦力候補は、たいていよそのクラブに持っていかれたからだ。密かに発掘した当初は泥まみれでも、やがて光り輝くようになるフロンターレの選手の象徴が、2003年入団の中村憲剛だろう。「タツルさんが重要視していたスカウトしている選手の人間性と成長意欲」を、アルバルクのGMとなった恋塚も大切な判断基準としているという。
フロンターレの前身組織(富士通サッカー部)がプロ化を決めたのは1996年だ。1993年開幕のJリーグで、1999年にその正会員となったフロンターレが、後発クラブゆえの“ハンデ戦”を強いられたのは、向島たちが担ってきた強化だけではない。
「事業の面でも、マリノスだ、ヴェルディだ、FC東京だ、というように古くからの歴史があったり、親会社の経営基盤が強かったり、そうした有力クラブがひしめく地域で、よそはやっていない何かを開拓する必要に迫られました」
やがてフロンターレと言えば、話題性の高い斬新な集客プロモーション事業で知られるようになる。2007年からプロモーション部に異動した恋塚は、2014年の退社まで、世間をアッと言わせ続けるフロンターレのプロモーション事業を牽引する1人となった。