ぶら野球BACK NUMBER
阿部慎之助を東京ドームで見送って。
引退試合は結婚式に似ていると思う。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byYasutaka Nakamizo
posted2019/10/04 20:00
東京ドームは阿部慎之助へのメッセージで埋まっていた。ファンも、背番号10のユニフォームが目立っていた。
原辰徳の引退試合となにかが違う。
本当に度重なる怪我にも負けず、平成巨人をど真ん中で背負ってくれて19年間お疲れさまでした……とバックネット裏からしんみりしていたら、不思議なことに気付いた。
球場の雰囲気が妙に明るくカラッとしていたのである。平成ジャイアンツの名シーンのひとつ、24年前の'95年10月8日、原辰徳の引退試合は涙、涙のお別れだった。
手元にある当時の翌9日(新日本プロレスとUインターの対抗戦が東京ドームで行われた日)のスポーツ新聞各紙の見出しを確認すると、報知が『泣けたぜ382号』、ニッカンは『ドームも泣いた』で一面写真は泣きながら長嶋監督と抱き合う背番号8の姿だ。
それが令和元年9月27日の「ありがとう慎之助」はどうだろう。プレー中も試合後セレモニーも基本的に笑いが溢れ、翌28日の報知一面は優勝トロフィーを掲げる笑顔の阿部の写真が飾った。
時代は変わったのだ。24年前、原辰徳は「夢の続きがあります」と引退スピーチで口にしたが、ここからCS制度が待ち受ける令和の時代は、指導者としての夢の前にリアルな「戦いの続き」がある。
背番号10の勇姿を見れるのは今日が最後じゃない。そう、さよならだけどさよならじゃない。俺らはCSファイナルで、その先の日本シリーズで、まだ「シンノスケ」コールを叫べるのだ。
そして、今度はみんなで歓喜の涙を流しながら、阿部慎之助を送り出そうじゃないか。
See you baseball freak……