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阿部慎之助を東京ドームで見送って。
引退試合は結婚式に似ていると思う。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byYasutaka Nakamizo
posted2019/10/04 20:00
東京ドームは阿部慎之助へのメッセージで埋まっていた。ファンも、背番号10のユニフォームが目立っていた。
絶叫と歓声を切り裂いた406号。
試合のハイライトは2点を追う4回裏。
2番坂本勇人が巨人生え抜き右打者初の40本塁打を放った直後、4番阿部もライトへ凄まじい打球を放つ。悲鳴のような絶叫と大歓声を切り裂くように右翼席上段へ通算406号アーチが突き刺さる。
新旧主将の揃い踏みに「まだできるよ」なんて声がいたるところから聞こえてくる。今年6月には球団では王貞治、長嶋茂雄に次ぐ3人目の通算400号を達成。最後の1年の打撃成績は代打中心の起用ながら打率.297、7本塁打、27打点、OPS.892。困ったときには「5番一塁」で若いチームを助けた(7月6日のDeNA戦では「4番一塁」で先発出場)。
「俺、シンノスケ世代です」
こうやって、まだできると言われる中で惜しまれながら辞められる選手は幸せだと思う。しかも、阿部はもう40歳だ。引退のニュースが流れてから、前職の同僚から数年ぶりに連絡が来て、「ついに同い年のスターが引退しちゃいますね」という話題で盛り上がる。
そう、'79年生まれの自分たちにとって阿部慎之助は、巨人史上最強キャッチャーであると同時に同世代のトップランナーだった。
就活の面接や合コンで何度、「俺、シンノスケ世代です」なんつって自己紹介をしただろうか。
あれ全然モテなかったよなあ……じゃなくて、同い年の背番号10には一度だけ、宮崎キャンプでプロ野球死亡遊戯本収録用のインタビューをしたことがあるが、「主将で4番でこれだけのプレッシャーにさらされ、もし巨人に入っていなかったらと思うことはありましたか?」というなんだかよく分からない質問に対し、阿部は「まあメジャーでも行ってたんじゃないかな。多分挑戦してたんじゃないかな」なんて優しく笑ったのだった。