酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
浪商、PL時代に大阪桐蔭vs.履正社。
昭和~令和の大阪・高校野球激闘史。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2019/09/02 08:00
2017年センバツ決勝で激突した履正社と大阪桐蔭。安田尚憲、根尾昂、藤原恭大らが鎬を削っていた。
いきなり強くなったPL、大阪桐蔭。
両校は登場の仕方がよく似ている。PL学園は創部7年目の春の甲子園で準々決勝まで進出しているが、大阪桐蔭も創部8年目(大阪産大高時代を含め)の春の甲子園で準々決勝まで進出している。
どちらもじわじわと実力を蓄えたのではなく、“いきなり強くなった”という印象がある。
大阪桐蔭は、1991年夏に初優勝しているが、この後からPL学園と大阪府大会で好勝負を演じるようになる。
<大阪府大会での戦績>
1994年4回戦
●大阪桐蔭 1−4 PL学園〇
1996年準決勝
●大阪桐蔭 6−7 PL学園〇
1997年準決勝
〇大阪桐蔭 10−9 PL学園●
2003年5回戦
●大阪桐蔭 6−8 PL学園〇
2004年決勝
△大阪桐蔭 4−4 PL学園△
再試合
●大阪桐蔭 7−13 PL学園〇
2005年準々決勝
〇大阪桐蔭 4−2 PL学園●
2009年準々決勝
●大阪桐蔭 5−10 PL学園〇
2014年決勝
〇大阪桐蔭 9−1 PL学園●
初顔合わせから20年、大阪桐蔭にとってPL学園は分厚い壁だったことがわかる。
平田vs.マエケンの死闘は語り草。
2004年の大阪府大会初の引き分け再試合の死闘は今も語り草だ。大阪桐蔭は、現中日の平田良介が2年生で中軸を打ち、PL学園は現ドジャースの前田健太が1年生ながら引き分け再試合で先発完投した。
PL学園は2016年に野球部を休止するが、その直前まで大阪桐蔭の覇者交代にしぶとく抵抗したのだ。