フランス・フットボール通信BACK NUMBER
“白いペレ”が、おらが町に来た!
80年代のセリエA、ジーコ移籍の伝説。
posted2019/08/14 11:30
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph by
L'Equipe
『フランス・フットボール』誌は、夏のこの時期になると特定のテーマを決めて短期集中連載をおこなう。この夏のテーマは「移籍」である。世紀の高額移籍や大きな論議を呼んだ移籍、さらにはタブーを覆した驚くべき移籍など、ロベルト・ノタリアニ記者がエポックメーキングとなった10の移籍を取り上げて語っている。
第1回はレアル・マドリーとバルセロナが激しい争奪戦を繰り広げた「ブロンドの矢」アルフレッド・ディステファノ。第2回はセルティックとレンジャースの両方でプレーしたモー・ジョンストン。そして第3回となる7月9日発売号で取り上げているのが、フラメンゴから北イタリアの小クラブ・ウディネーゼに移籍した“白いペレ”ことジーコである。
当時のイタリアでは、数年前から外国人選手が解禁となり、世界中から大物が次々とセリエAに結集していた。ただ、外国人枠は「2」しかなく、誰もが望むビッグクラブに行ける状況でもなかった。
それにしても、どうしてウディネーゼだったのか。今日では考えられない移籍はなぜ起こったのか。ノタリアニ記者が解き明かす。
監修:田村修一
世界的スター選手が小さな町にやってきた!
いったいどれぐらいの人々がそこを埋め尽くしたのか……。
正確な数は誰にもわからなかった。ただ、1983年7月26日のウディーネの雰囲気を描写しようとすれば、それは歩道を埋め尽くした1万人を超える老若男女を問わない人々の熱狂であり、昔を知る老人たちは北イタリアはフリウリ地方の中心都市であるこの街が、かつてこれほどの歓喜に包まれたことは一度としてなかったと証言するのだった。
節度ある性格で名高いこの地の人々が、サッカーで驚くほどの歓喜に酔いしれている。より正確に言えば、たったひとりの選手に心の底から一喜一憂している。
フィアットの最新モデル・オープンカーに乗り、満面の笑みで立ち上がって観衆の声援に応えている男の名は「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」といった。そう、“ジーコ”という名で知られている世界的なスター選手である。
ジーコこそは、その年のウディネーゼの新規外国人選手であった。
ブラジル代表の10番であり、ミシェル・プラティニやディエゴ・マラドーナと並ぶスーパースターが、前季のリーグ6位という成績が1950年代後半以来の快挙になるという、ごく平凡なクラブにやって来た。
ウディネーゼのティフォジにとって、さらに言えばフリウリ地方のすべての人々にとって、それはこの上ない喜びであった。