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“白いペレ”が、おらが町に来た!
80年代のセリエA、ジーコ移籍の伝説。
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph byL'Equipe
posted2019/08/14 11:30
ウディネーゼにはわずか2シーズンしか在籍しなかったが、“ホワイトペレ”ことジーコは、イタリア中のサッカーファンを魅了したと言われている。
ジーコの移籍金には国のお金も入ってた?
だが、イタリア最大の労働組合CGIL(イタリア労働総同盟)のゼネラル・セクレタリーであったルチアノ・ラマは、ダルチンの言葉を信用してはいない。
「マッツァはジーコのために大金を投じたが、資金の出所には疑問がある。資金調達のために彼は数千人に及ぶ『ザヌッシ(マッツァが所有する家電メーカー)』の労働者たちを利用したのだ(名目上の失業者を大量に作り出し、国庫から多額の資金を引き出した)!」
実際にはマッツァが自身のポケットマネーで補填して移籍を実現させたようなのだが、議論は沸騰していくばかりであった。
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イタリアサッカー協会は、すでに実現していたものも含め、幾つかの移籍について合法性を調査した。その中にはジーコのウディネーゼ移籍とトニーニョ・セレーゾのローマ移籍も含まれていた。
ドタバタ劇があり、所属はわずか2年間に。
結局、協会はこのふたつの移籍について、無効という結論を下した。
もちろんウディネーゼもローマも、クラブはもとよりサポーターも強く反発した。
問題は国会でも取り上げられ、最終的な結論はイタリア・オリンピック委員会(CONI)に委ねられることになった。
CONIに指名された3人の法律家が下した結論は「合法」であった。
こうしてジーコは、晴れてウディネーゼの歓迎パレードにその雄姿を現したのだった。
“白いペレ”はフリウリ地方に2シーズンしか滞在しなかった。
しかも2年目は、ケガと税金トラブル、レフリーへの暴言による長期出場停止で満足にプレーしていない。だが、それでも最初のシーズンの彼の雄姿は、ウディネーゼのティフォジたちの瞼に強く焼きついている。