“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
好調トリニータを繋ぐMF小塚和季。
イニエスタや中村憲剛のように。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/07/16 10:30
J1上位につける大分トリニータで開幕からすべてスタメン出場(18節時点)する小塚和季。「大分の14番」も定着してきた。
地元・新潟へ入団、期待も大きかったが……。
帝京長岡高時代はドリブルと精度の高いパスで攻撃のタクトを握る天才肌だった。低い位置でボールを受けることは多かったが、そこから潜り込むドリブルで一気に前に運び、精度の高いラストプレーを繰り出す華のある選手だった。
だが、鳴り物入りで2013年に入団した地元・アルビレックス新潟で、大きなプロの壁にぶち当たった。
「ボランチをやることが多かったのですが、僕はスピードという部分でも飛び抜けているわけではなくて、最初は何をしてもうまくいかなかった」
入団1年目は出場ゼロ。2年目の7月には当時JFLだったレノファ山口に期限付き移籍した。そこでは攻撃的なポジションを任され、同年にJ3昇格に貢献。'15年は引き続き山口で1年間、J3を戦いきった。この経験を活かすべく、'16年に当時J1の新潟に復帰した。しかし、現実は厳しかった。
「山口で本来自分の持っている感覚を取り戻せたかなと。そんな自信を得て新潟で再チャレンジしたのですが、ボランチの位置でボールを奪われたり、パスが通らなかったり、ミスが多くて、やっぱり結果を残せなかった。本当に苦しかった」
今のプレーはこれまでの経験を融合したもの。
2017年、「自分の良さを取り戻したかった」と再びJ2山口に移籍を決断すると、コンスタントに出番をつかんだ。この年、キャリアハイのリーグ39試合8ゴールをマーク。昨年はJ2ヴァンフォーレ甲府に完全移籍すると、ここでも攻撃のタクトを握り、リーグ31試合出場6ゴール。充実したシーズンを過ごした。
「やっぱり僕はJ1に再挑戦したかったし、(J1の舞台で)得点やアシストという目に見える結果をしっかり出したいと思った」
小塚は今年、大分の一員として3年ぶりのJ1に帰ってきた。自身4チーム目の所属先で迎える3度目のJ1挑戦。もう同じ轍は踏んではいけない。そう決意した小塚は、これまで試行錯誤してきた末に大分で新境地を開いたのだ。
「ずっとボランチとトップ下のポジションを行き来して、その都度、壁に当たってきました。自分の良さを表現することに苦しんで、自信を得ては、また失っての繰り返し。でも、すべての経験が今になってようやく生かされているのではないかなと思います。
柳下正明監督(新潟)や吉田達磨監督(新潟、甲府)の時は下がり目のポジションでミスを重ねながらも、プレー選択や守備、ポジショニングの大事さを学びましたし、上野展裕監督(山口、甲府)の下ではシャドーとして攻撃のバリエーションを増やしてもらえた。
大分ではこれまで経験してきたいい部分を融合させて、チーム戦術に落とし込みながらプレーできている印象はあります」