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名波浩が愛する磐田に残したもの。
「これからも応援をよろしく頼む」 

text by

望月文夫

望月文夫Fumio Mochizuki

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photograph byJ.LEAGUE

posted2019/07/04 11:50

名波浩が愛する磐田に残したもの。「これからも応援をよろしく頼む」<Number Web> photograph by J.LEAGUE

川崎戦後に辞任を表明した名波浩。昨季から続く不振を脱することはできなかった。

チームのために働いた小林祐希。

 しかし視線をピッチに戻すと、J2での2年目も決して楽な戦いではなく、自動昇格争いは最終節までもつれた。勝たなければいけないアウェーでの大分トリニータ戦は、終了間際に同点とされ万事休すと思われた。ところが、直後のアディショナルタイムに再度勝ち越し弾をたたき込み、劇的にJ1昇格を決めた。

 決勝弾を押し込んだのは、その後日本代表入りしたMF小林祐希(オランダ・ヘーレンフェーン)。'12年の加入当時は、周囲とのコミュニケーションも少ないタイプだったが、名波監督の下で大きく変わった。昇格を決めた大分戦後に語った「チームのため、名波監督のために決めたかった」という小林の言葉に、「あいつが『チームのため』なんて言えるようになるとは……」と成長ぶりに目を細めた。

 監督が就任直後に選手に伝えた、コミュニケーションの必要性が効果となって表れた瞬間だった。

大きな変化をもたらした中村俊輔の加入。

 J1昇格1年目の'16年は最終節にようやく残留を決めたが、翌'17年はダークホース的な存在へと変貌する。その勢いを支えたのが、監督自身が説得し獲得にこぎつけた元日本代表MF中村俊輔の加入だ。

 この年に39歳を迎えた中村だが、シーズン前のキャンプから若手の手本となってチームの底上げに貢献。戦力面でも直接FKやロングシュートでゴールを積み上げ、チームを加速させた。そして格上と位置付けていた上位常連の川崎、浦和、鹿島、G大阪にも快勝するなど、一気に6位へと躍進した。

 中村が手本となったのは、ピッチ上だけではない。35度を超える猛暑日となった試合前日の練習後にも、40分以上をかけ笑顔でファンに対応した日もあった。となると、若手も先輩を見習い、いつしか選手対応が良いクラブとして徐々に定着。その姿勢はいまも変わっていない。

 その中村効果は、クラブを潤した。加入直後から中村グッズの売れ行きはクラブの担当者を困惑させるほどに伸び、'17年ホーム・ヤマハスタジアムでのリーグ戦は2試合を除きチケットが完売した。その勢いを受け、'18年の年間シートの販売数は、1万5000席ほどの小さなスタジアムの半分ほどを占めるまでに伸びた。

【次ページ】 昨年は何とかJ1残留を果たすも……。

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