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名波浩が愛する磐田に残したもの。
「これからも応援をよろしく頼む」
posted2019/07/04 11:50
text by
望月文夫Fumio Mochizuki
photograph by
J.LEAGUE
「勝っても負けても辞めるつもりだった」
6月30日J1第17節、リーグ2連覇中の川崎フロンターレに1-3と完敗した試合後の会見で、磐田の名波浩監督は、集まった報道陣を前に晴れ晴れとした表情で辞任を伝えた。
この日の敗戦で、磐田は今季初めて最下位に転落。試合終了直後にスタジアム内に響いた激しいブーイングの中、指揮官はゴール裏に陣取ったサポーター席前に向かった。そしてサポーターのリーダーに「オレは責任を取って辞めるけど、これからもジュビロの応援をよろしく頼む」と頭を下げ、そのままロッカールームへと消えた。
今季の半分を終えた磐田は、3勝5分9敗で勝点はわずかに14。単純に2倍した年間勝点は28にとどまり、一般的に残留ラインと言われる40には遠く及ばない。その責任を取った辞任は、数字的な観点からは当然と言えるだろう。
しかし、J有数のユニーク監督と言われていた指揮官の退任を惜しむ声が少なくないのもまた事実である。チームを短期間で変えていくマネージメント能力には、試合結果とは別に他の追随を許さないものがあったからだ。
負の連鎖を止めるべく就任した5年前。
現役時代に磐田で3度のリーグ年間王者を経験(1999年はシーズン途中で海外移籍)し、日本代表として1998年フランスW杯にも出場した。そんな名門磐田の全盛期を歩んできたクラブのレジェンドが監督に就任したのは、史上初めてJ2を戦った'14年9月。
前任のシャムスカ監督の下、J1に自動昇格できる2位以内の確保に赤信号が灯った残り9試合という難しい局面だった。
指揮官未経験だった名波新監督の誕生だが、ファンやサポーターにとっては待ちに待ったものだった。というのも、J2に降格した'13年までの数年間は、黄金時代を築いた磐田カラーをあえて排除する方針で、結果的にクラブは衰退の一途をたどっていた。当然ファン離れも加速し、スタンドは閑古鳥が鳴く状況。その負の流れを止めるためにも、クラブ愛を持ったOB指揮官の誕生が待たれていたのだ。
しかし、シーズン残り9試合での自動昇格圏内浮上はならず、昇格プレーオフでも相手GKに劇的決勝弾を決められ、翌年もJ2のままで長いシーズンをスタートさせることになった。