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エスパニョールを知る日本人に聞く。
中国人ウー・レイ獲得で何が変化?

posted2019/06/29 11:30

 
エスパニョールを知る日本人に聞く。中国人ウー・レイ獲得で何が変化?<Number Web> photograph by Getty Images

2019年1月にリーガの舞台へと渡ったウー・レイ。文字通りエスパニョールの救世主となった。

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谷川良介

谷川良介Ryosuke Tanikawa

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 バルセロナ連覇で幕を閉じた2018-19シーズンのリーガ・エスパニョーラ。王者バルサはチャンピオンズリーグこそベスト4止まりだったが、リーグでは2位のアトレティコ・マドリーに勝ち点差11をつける充実のシーズンを送った。

 そのリーガにおいてハイライトとなったのが、同じバルセロナに本拠地を置くエスパニョールだ。前年は残留争いを演じたため、開幕前の下馬評は言うまでもなく低かったが、終わってみればリーグ7位と大躍進。来季は'07年に準優勝して以来、12年ぶりにヨーロッパリーグに出場する。

 そんなエスパニョールの中で、躍進の“象徴”となったのが、1月末に上海上港(中国)から加入した中国人ウインガー、27歳のウー・レイだ。

 '06年に14歳の若さで中国リーグ最年少デビューを飾ると、'10年から9年連続で2桁得点をマーク。'18年には同リーグ通算ゴール数でも歴代最多となり、年間MVPと中国人選手として11年ぶりとなる得点王を獲得した。AFC年間最優秀選手賞にも過去に2度ノミネートされている。

最初は懐疑的な見方だったけど。

「ウー・レイの加入に関して、当初は現地のサポーターも懐疑的な見方をしていました。チームの調子も下降気味で、なぜヨーロッパで実績がないアジア人を獲得したのか、と僕でさえも思いました」

 こう語るのは、クラブの公式ペーニャ「ペリコニッポン」の会長・中林伸高さん。ペーニャとは日本でいうファンクラブ、である。彼にウー・レイ加入後のエスパニョールの躍進ぶり、そして日本ではバルセロナの“じゃない方”と見られがちなクラブのアイデンティティについて聞いてみた。

 大学卒業後にサッカーに関わる仕事を目指してスペインに渡った中林さんは、留学先のバルセロナで、エスパニョールとそのサポーターに出会った。

「アウエーまで駆けつける日本人ペリコ(スペイン語でインコの意で、エスパニョールサポーターの愛称)」としてクラブ関係者やスペインメディアから注目を集め、2006年にクラブの公認団体として活動を開始。現地からインターネットラジオを活用した試合の実況中継を行うなど、単なるファンクラブ、サポーターの枠を超えた活動を続けてきた。

「昨季ウエスカを初の1部昇格へ導いたルビ監督の指揮のもと、エスパニョールは序盤戦で快進撃を続けていました。今季唯一の完全移籍での補強となった"パンダ"ことFWボルハ・イグレシアスがハマり(リーグ戦17ゴール、得点ランク7位)、一時は2位につけた週もありました。ただ、12月8日のバルセロナダービーに0-4で敗れるなど、徐々にチームは勢いを失って……」

 第12節セビージャ戦以降、1勝9敗。「今季も残留争いか……」そんなペリコたちの嘆きが聞こえる中、チェン・ヤンシェン会長の「欧州でも通用する中国人選手を加入させたい」という“夢”であった中国人リーガーとして、ウー・レイは水色の縦じまユニホームに袖を通すこととなる。

【次ページ】 抜群のスピードがアクセントに。

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