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関根貴大、挫折の2年間と浦和帰還。
「僕、まだ、挑戦し続けますよ」

posted2019/07/01 17:00

 
関根貴大、挫折の2年間と浦和帰還。「僕、まだ、挑戦し続けますよ」<Number Web> photograph by Getty Images

ドイツ、ベルギーの地で挫折を味わった関根貴大。しかしその眼はまだまだ死んでいない。

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島崎英純

島崎英純Hidezumi Shimazaki

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 欧州各国に活躍の場を求める日本人フットボーラー。2017年夏にその1人となったのは関根貴大だ。浦和の下部組織からトップチームに昇格し、成長を遂げてきたドリブラーはその活躍が期待されたが、ドイツ、ベルギーで挫折につぐ挫折を味わい、浦和復帰を決断した。彼は今、何を思うのか――。浦和時代から関根を知る筆者が迫った渾身のドキュメンタリー。

 2017年11月25日。朝の8時にクラブハウスへ集合してチームバスに乗り込んだ。

 前日にトップチームのベンチ入りメンバーから漏れたことを知った。監督から「明日はセカンドチームに行ってこい」と言われ、4部リーグの試合を戦うためにインゴルシュタットから車で約3時間離れたバイエルン州シュヴァーベン行政管区に属する小さな町、メミンゲンへ向かっていた。

 バスに揺られながら、ふとスマートフォンに目を移す。画面には、極東で行われたサッカーの試合結果が映し出されていた。Jリーグの浦和レッズがサウジアラビアのアル・ヒラルを下してアジア・チャンピオンに輝いたらしい。

「俺は、ここで何をしているんだろう」

 ため息が充満する車内で、身体が座席に飲み込まれていくように感じた。底なしの沼で、関根貴大がもがき苦しんでいた。

ピッチで混乱したデビュー戦。

 2017年の夏。ドイツ・ブンデスリーガ2部のインゴルシュタットから正式な獲得オファーが届いたときは心が躍った。折しも浦和は成績不振でミハイロ・ペトロヴィッチ監督との契約を解除し、ヘッドコーチの堀孝史を新たな指揮官に据えて立て直しを図ろうとしていた。ユース時代の恩師でもある堀監督から慰留を受けた彼はしかし、輝かしい未来に思いを馳せてヨーロッパへの旅立ちを決意した。

 ドイツへ渡ってから約2週間後にチャンスが訪れた。2017-18シーズンのドイツ・ブンデスリーガ2部第3節、SSVヤーン・レーゲンスブルク戦。2-1でリードした後半途中に出場を告げられた彼は、自らがどう振る舞うべきかを逡巡した。

「チームは開幕から2連敗していた。そんな中で、この試合ではチームが逆転ゴールを決めてリードしていて、攻撃に徹した方がいいのか、それとも守備で貢献すればいいのか判断しづらかった。

 でもデビュー戦だし、少しは爪痕を残したい。そうも思っていた中で空回りしてしまったんです。その後チームは逆転されてバランスが完全に崩れた。正直、初めてのピッチで混乱した。そして思った。『俺は、このリーグ、このチームのことを何も知らなかったんだな』って」

 リーグ3連敗を喫したインゴルシュタットはマイク・バルプルギス監督を解任し、U-21チームを率いていたステファン・ライトルを新監督に据えた。そして関根はこれ以降、リーグ戦で1試合も出場機会を与えられなかった。

「正直、ドイツのサッカーは僕のイメージを遥かに超えていた。想像以上だった。自分の身体も動かなかったけど、球際の激しさやスピード感が凄まじかった」

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