「谷間の世代」と呼ばれて。BACK NUMBER
谷間の世代・石川直宏が今振り返る、
黄金世代との比較、アテネ、ケガ。
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byYuki Suenaga
posted2019/06/27 11:30
「谷間の世代」屈指のドリブラーだった石川直宏。現在はFC東京の「クラブコミュニケーター」の役職を務めている。
W杯前のタイミングでケガに泣き。
しかし、その後の石川は、何度かA代表には選ばれたものの、ワールドカップ出場はかなわなかった。
2006年ドイツ大会は、前年9月に右ひざ前十字靭帯を断裂。診断は全治8カ月で、「ワールドカップは無理でした」。
2010年南アフリカ大会は、前年10月の親善試合に招集され、「この感覚ならやれる」と出場を意識していた。ところが、直後のJ1の試合で、今度は左ひざを負傷した。
「右で1回やっているんで、何となく分かったんです。『あ、これ、ヤバいな』って」
傷ついた靭帯は、手術に踏み切れば、翌年の南アフリカには間に合わない。ラストチャンスにかける石川は、保存療法を選択。6週間の静養の後、トレーニングを再開し、2010年1月のA代表キャンプに参加した。
だが、「もうヒザがグラッグラで。緩みがあって、動かしたくないほうに動いちゃうというか。これはダメだと思いました」。
結局、ヒザをかばってプレーを続けたことの代償は大きく、「その後は散々でした。腰や足首も痛めて、納得できるパフォーマンスを出せたことは一度もありません」。石川は2017年シーズンを最後に、引退を決意した。
「谷間」と言われたから注目された。
振り返ってみると、ワールドユースでも、五輪でも、いずれもグループリーグ敗退に終わった谷間の世代が、A代表の中心世代を成したことはない。石川にしても、その才能に比してA代表とは縁が薄かった。
「メディアの人たちに谷間の世代と言われ、『いや、オレたちは谷間じゃない!』って思いながらやってはいましたが、実際、結果としてはそうなってしまった」
しかし、その一方で彼らは、所属クラブでレジェンドと称される選手やJ1得点王を複数生み出すなど、Jリーグでは際立つ実績を残した世代だと言ってもいい。それに関しては、黄金世代をもしのぐほどだ。
石川の言葉を借りれば、「谷間の世代と言われることが、全部ネガティブだったわけじゃない。おかげで注目もされたし、(黄金世代と)比較もしてもらえたからこそ、いつも『ここからでしょ』って思えた」からかもしれない。