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谷間の世代・石川直宏が今振り返る、
黄金世代との比較、アテネ、ケガ。

posted2019/06/27 11:30

 
谷間の世代・石川直宏が今振り返る、黄金世代との比較、アテネ、ケガ。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

「谷間の世代」屈指のドリブラーだった石川直宏。現在はFC東京の「クラブコミュニケーター」の役職を務めている。

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浅田真樹

浅田真樹Masaki Asada

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Yuki Suenaga

 サッカー界で「谷間の世代」といえば、アテネ五輪に22、23歳で出場した、1981年(および1982年)生まれを指す。
 10代のころから、すぐ上の「黄金世代」と比較され、低評価を受けてきた世代だ。だが、そんな評判を覆すように、彼らのなかからはJ1リーグの得点王や、所属クラブのレジェンド的存在が多数生まれている。Jリーグでの活躍ぶりに関する限り、実は「黄金世代」を上回るほどの実績を上げてきたのだ。
 当事者である彼ら自身はそんな世間の評価をどう受け止め、どう成長していったのか。今年38歳となり、現役を続ける者が少なくなってきたいま、彼らの証言から「谷間の世代の真実」を探る。

 取材の約束は、午前10時。現役選手なら、まずありえない時間である。

 東京・小平のFC東京クラブハウスに、石川直宏はあたかも定時出社する会社員のごとく、スーツ姿で現れた。

 石川の現在の肩書は、クラブコミュニケーター。

 本人曰く、「FC東京をもっと強くしたいし、もっといいクラブにしたい。そのために、指導者になるのもひとつですが、クラブの細部まで知ったうえで何かアクションを起こせるんじゃないか、と。その思いをバーッと、支離滅裂だったと思いますが(笑)、社長に伝えて」、自ら就いたポジションだ。

 スパイクを脱ぎ、およそ1年半が経過した現在、石川はすっかりFC東京のビジネススタッフである。

 石川を初めて見たのは、20年前の夏。当時、横浜で行われていた国際大会だったと記憶している。横浜F・マリノスのユースチームで出場していた背番号7は、線は細かったが、飛びの大きいダイナミックなドリブルが印象的だった。

 1981年生まれの石川が、高校3年生のときである。

本山さん、中田さん、すごいなぁ。

「僕たちが高1のときの高3が、黄金世代。本山(雅志)さんや、中田浩二さんが高校選手権で活躍していて、僕たちが高3からプロになるころに、その人たちがプロでも活躍し始めた。すごいなぁと思って見ていました」

 1990年代から2000年代にかけて、日本サッカーは右肩上がりの成長を続けていた。その象徴的な存在となっていたのが、U-20代表である。

 日本がまだワールドカップに出場したことのなかった1995年、U-20代表は、日本サッカー史上初めてワールドユース選手権(現・U-20ワールドカップ)アジア予選を突破し、本大会に出場。以降、隔年開催のこの大会に、2007年まで7大会連続で出場を果たしたことが、A代表の成果につながっていく。

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