「谷間の世代」と呼ばれて。BACK NUMBER

谷間の世代・石川直宏が今振り返る、
黄金世代との比較、アテネ、ケガ。 

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浅田真樹

浅田真樹Masaki Asada

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photograph byYuki Suenaga

posted2019/06/27 11:30

谷間の世代・石川直宏が今振り返る、黄金世代との比較、アテネ、ケガ。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

「谷間の世代」屈指のドリブラーだった石川直宏。現在はFC東京の「クラブコミュニケーター」の役職を務めている。

黄金世代のち「谷間の世代」。

 なかでも、ひときわ輝く成績を残したのが、1999年大会に出場した1979年生まれを中心とする世代。いわゆる、黄金世代である。ワールドユースで準優勝という快挙を成し遂げた彼らは、右肩上がりの成長のなかでさえ、特別な存在だった。

 だが、彼らが放つ強い光は、傍らに濃い影を作り出した。特別な世代が大きな期待を集める一方で、そのあおりを受けたのが、次のU-20世代。すなわち2001年ワールドユースに出場することになる、1981年生まれを中心とする世代だった。

 そもそも、黄金世代が黄金たるゆえんは、ワールドユースで準優勝したからだけではない。その何年も前から小野伸二は天才と称され、小野のほか、稲本潤一、高原直泰らは、1995年U-17世界選手権(現・U-17ワールドカップ)に出場。若いながらに国際経験も豊かだった。

 対照的に1981年生まれを中心とする世代に、U-17世界選手権を経験した選手はひとりもいない。実績で見劣りするうえ、個々の能力を見ても小粒だった。

 谷間の世代――。彼らはいつしか、そう呼ばれるようになっていた。

「僕たちは一番お金がかかっている」

 石川が、当時を振り返って語る。

「自分たちは全然経験がない世代なんだな、と思いましたね。常に(黄金世代との)比較の対象にされ、それを基準にプレーすることが求められていたように思います」

 彼らにとって、当面の目標となったのは、ワールドユースに出場すること。すなわち、アジア予選を兼ねたアジアユース選手権でベスト4に入ることだった。

「そのために、(アジアユース開催地の)イランにも事前に行きましたし、僕たちはたぶん一番お金がかかっている世代なんですよ(苦笑)。経験がない分、毎月どころか、もう実感としては3週間に1回くらいのペースで、海外遠征や(国内での)合宿がありましたから」

 現在では、U-20代表に選出されるような選手であれば、ほとんどが所属クラブで(程度の差こそあれ)戦力とみなされている。年代別とはいえ、代表チームがそれほどの活動時間を確保するのは、まず不可能だろう。

 だが、「(現在の状況は)僕たちのときでは考えられない」と石川が話すように、当時のU-20代表に、所属クラブでポジションをつかんでいた選手はごくわずか。今ほど育成目的の期限付き移籍も一般的ではなかった時代である。

 しかし、だからこそ、代表の存在が彼らには重要だった。

マリノスでは紅白戦を横目に……。

 当時F・マリノスでは、紅白戦を横目に、数人だけで1対1やシュート練習をやることもあった。それでも気持ちをつなげられたのは、「代表へ行けば、試合に出られる環境がある」、そう思えたからだった。

「代表がなければ、モチベーションを保つのはキツかったかもしれません。それくらい、自分には(クラブで)プレーする場がなかった。代表で活躍して自信をつけて、クラブに戻ってより高いレベルで勝負できるように。そこがモチベーションでしたよね」

 お金も時間もかけた甲斐はあり、谷間の世代も、2000年11月に行われたアジアユースは順調に勝ち抜いた。

「最低限ベスト4に入って(ワールドユースの)出場権を獲得することを目標にしながらも、前回大会の決勝で韓国に敗れて準優勝だった伸二さんたちを超えたかった。自分たちは優勝を意識していました」

 結果は、決勝でイラクに敗れて準優勝。だが、黄金世代に並ぶ成績を残したことは、彼らに少なからず自信を与えた。とりわけ、「イランで3週間くらい生活し、環境にも適応して戦い続けるタフさは今まで経験したことがなかった。それを乗り越えたことは大きかった」。

 しかし、黄金世代との本当の差が表われるのは、ここからである。どんなに周到な準備を施したつもりでも、本番は、やはりその舞台に立ってみなければ分からない。

【次ページ】 ワールドユースで決まった評価。

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