メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
青木宣親は個人記録に興味があるか。
自分からチームに移った思考の重心。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byNanae Suzuki
posted2019/05/28 12:00
青木宣親は日本プロ野球に「成し遂げること」を再び見つけたからこそ、今も戦い続けているのだ。
日本の最後の何年かは「キツかった」。
「お金とかそんなのは、自分の手で掴めばいいと思ってた。今はマイナーにいるけど、日本にいたらこういう経験も出来なかっただろうし、今は今で何だか楽しんでいる自分がいる。でも、ここでは終わらない。絶対に這い上がってやるよ」
力強い言葉に一瞬、気圧された。
「30歳でこっちに来たけど、あれがギリギリだったと思う。FA(フリーエージェント)になるまで待ってたら、こんな風には考えられなかったよね」
それに、と彼は言葉を続けた。
「最後の何年間かは、正直、ちょっとキツかった。目標を見失ってたって言うか。首位打者を獲ったとか、200安打を達成したとか、そんなことじゃなくて……もちろん、チームも優勝してなかったし、何もかも達成したわけじゃないんだけど、ヒット打ちながらもちょっと、なんか違うなぁって感じるようになっていた」
その時になってようやく、「来たかったんだから、しょうがないじゃん」の意味が分かったような気がした。
閉塞感から解放され、険しい世界へ。
いつでも「今以上」の自分を求めていた人だ。
彼はきっと、日本での8年間で自らが作ってしまった「枠」のようなものから飛び出したがっている「自分」に気づき、それを「いい契約ができないから」という理由で閉じ込めておくことが許せなかったのだと思う。
だから、年俸数億円は当たり前。「ヤクルトの顔」として誰もが知るプロ野球選手であることを捨て、テスト入団も同然でアメリカ球界に飛び込んだのだと思う。
違う言い方をすれば、1試合で2本、3本とマルチ安打を打つのが当たり前。打率3割以上打つのが当たり前という状況を捨て、1試合で1本の安打が出れば「今日は1本出て良かった」。無安打でも四球で出塁したら「何とか塁に出ることは出来たから」と納得しなければならない状況に身を置いたのだ。
どうしようもないような「閉塞感」から「解放」された彼はしかし、打てないとヘコんだ。
それが何打席も続くと、見ているこちらが気の毒になるぐらい、かなりヘコんだ。
それが数試合も続いたりすると、ヘコんで、ヘコんで、ヘコみ続けて、不安や迷いや怒りを露わにしても気持ちが前を向かず、目の前に突き付けられた「何やってもヒットにならない」という現実から逃避行しそうになる時もあった。