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青木宣親は個人記録に興味があるか。
自分からチームに移った思考の重心。

posted2019/05/28 12:00

 
青木宣親は個人記録に興味があるか。自分からチームに移った思考の重心。<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

青木宣親は日本プロ野球に「成し遂げること」を再び見つけたからこそ、今も戦い続けているのだ。

text by

ナガオ勝司

ナガオ勝司Katsushi Nagao

PROFILE

photograph by

Nanae Suzuki

 アメリカに住んでいても時々、日本のことは気になる。

 メジャーリーグばかり取材していても、時には日本のプロ野球のことが気になる。

 とりわけ自分が取材したことのある選手たちの動向は気になる。

 その1人が、東京ヤクルト・スワローズの青木宣親だ。

 青木が日本プロ野球最速で通算1500安打を達成したというニュースを知った時、最初に思ったのは「なんで今さら?」だった。

 彼のアストロズ時代に地元ヒューストンで日米通算2000安打を取材した経験から、「最速」という部分ではなく、その時よりも少ない「安打数」に違和感を持ってしまったからだ。

メジャーに来なければ……と頭をよぎる。

 達成翌日のサンスポ(電子版)に、こう書かれている。

「七回1死一塁、藤川のフォークボールを左前に運び、プロ野球126人目となる通算1500安打を達成した。日米通算では2275安打に達しているが、1156試合での到達は松井稼頭央の1233試合を抜くプロ野球史上最速記録だ」

 率直な感想は、「日本にずっといたら、もっと早く達成していた」だった。

 それは旧記録保持者の松井にしても同じで、2人は「メジャーリーグ挑戦」をした後に日本プロ野球に復帰し、通算1500安打を達成しているので「遠回りした」と感じたのかも知れない。

 青木は2004年のヤクルト・デビューから2011年までの8年間で通算1284安打を記録した。

 1年目はわずか10試合の出場で3安打だから勘定せず、実働7年間で1281安打だったと考えても年平均183安打になる計算だから、彼にとって「メジャー挑戦」2年目にあたる2013年の開幕直後には達成していたことになる(松井も彼の「メジャー挑戦」1年目に達成していた)。

 ……なんてことを書いている内にある出来事を思い出し、そんなことを一瞬でも考えた自分を深く恥じ、真面目に反省した。

 その理由はこうだ。

【次ページ】 「どうしてアメリカに来たのですか?」

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