メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
青木宣親は個人記録に興味があるか。
自分からチームに移った思考の重心。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byNanae Suzuki
posted2019/05/28 12:00
青木宣親は日本プロ野球に「成し遂げること」を再び見つけたからこそ、今も戦い続けているのだ。
「どうしてアメリカに来たのですか?」
青木にとっての「メジャー1年目」である2012年のブルワーズ時代、「あなたはどうして、アメリカに来たのですか?」と尋ねたことがある。
なぜ、そんな失礼な質問をしたのかというと、日本のスター選手が(ポスティングで)入札したミルウォーキー・ブルワーズにテストみたいなことをやらされて、しかも比較的、安値で契約したことに「驚き」があったからだ。
当時はブルワーズの対応にも頭に来ていた。「青木がアメリカではまだ何者でもないのは分かる。それにしても、いくらなんでも、そういう扱いはないだろう?」と思ったのだ。
諸悪の根源は当時のポスティング制度=自分では球団を選べないし、球団の言い値を断ったら日本に戻るしかないというルールにあったと頭では分っていたのだが、日本のスター選手がそういう酷い扱いを受けたのが、何だか許せなかった。
そういうことを感じ取ったのか、青木はあの大きな目を一瞬、クルッと回し「日本のプロ野球がダメっていう意味とは、絶対に違いますけど……」と前置きしながら、こう言った。
「大学野球でこっち(アメリカ)に来た時、メジャーを見に行く機会があって、あの雰囲気にやられましたね。うわっ、スゴイなぁって。ちょっと言葉では説明できないけど」
「来たかったんだから、しょうがないじゃん」
当時はそのコメントを、そのまま自分の記事に使った。
書きながら、心のどこかで「きれいすぎる」と感じていた。
青木のことを疑っていたわけじゃない。でもどこか、こちらが書き易いコメントを与えてくれただけのような気もしていた。
こちらのそんな表情をまた読み取ったのか、彼は最後に笑ってこう言った。
「来たかったんだから、しょうがないじゃん」
しょうがないじゃん、って……。
それ以上、何も言えなかった。
青木はそれからブルワーズで定位置を獲得してメジャーリーガーとしての地位を築き、移籍したカンザスシティー・ロイヤルズではアメリカンリーグ優勝の中心選手の1人となり、ワールドシリーズ優勝まで「あと1勝」まで迫った。
サンフランシスコ・ジャイアンツでは途中まで過去最高成績を残しながら死球禍にのみ込まれ、シアトル・マリナーズではその後遺症もあって絶不調となり、マイナー降格の辛酸を舐めた。
確か、その頃だったと思う。
なんかのタイミングで突然、青木が「俺、やっぱり、あのタイミングでアメリカに来て良かったと思ってるよ」と言ったのは。