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今もリングを目指す辰吉丈一郎。
あしたのジョーは、もういない。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2019/04/29 10:00
辰吉丈一郎は今もジム通いを続けている。すべてをボクシングのために。今もそんな人生を歩んでいるのだ。
左ガードを下げた構えは変わらず。
雑居ビル屋上のジムに着くと、辰吉はバンデージを巻き始めた。白布に砂利をまぶしたような褪せた色をしている。何重にも染み込んだ汗の色だ。そして、やはり同じ色に褪せたリングシューズを履くと、ロープをくぐり、シャドーボクシングを始めた。
蛍光灯の下の、他に誰もいないリングで元王者が踊る。左ガードをだらりと下げた構えはあの頃のままだ。
「先代の会長には半殺しにする勢いで何べんも言われました。『ボクシング知ってるのか? ガードしろ! ノーガードはあしたのジョーだけでええんや!』と。でも、父ちゃんは僕に言った。殴られたくないんやったら、ボクシングなんかせんかったらええやんって。それにね、喧嘩の時、大抵の奴は右足で蹴ってくる。左手を下げてると対応しやすい。父ちゃんがくれたスタイル。僕にとって、もう父ちゃんは神様なんで」
父ひとり、子ひとり。息子にすべてを捧げて20年前に逝った父の、左拳の骨を辰吉は火葬場で食べた。焼いたばかりの骨は喉の奥で「ジュッ」と音をたてた。
その遺骨はまだ墓に納めていない。
「今も僕の家にあります。ええ加減、眠らせてくれよと言うてるかもわからんけど。嫌なんです。負けたまま、無冠のまま墓に納めるのは。父ちゃんも納得せんでしょう」
「誰彼構わず、睨みつけてね」
1980年代の半ば、日刊スポーツ新聞社のボクシング担当だった町野直人は、大阪帝拳によく通っていた。当時の世界王者・渡辺二郎を取材するためだったが、ある日、ジムに入ると、やけに目つきの鋭い青年がこちらを睨んでいた。
「それが辰吉やったんです。誰彼構わず、睨みつけてね。トレーナーに『挨拶せえ』と言われても、しない(笑)。でもリングに上がるとセンスが違った。足が長くてリーチは膝まであった。ボクシングをするために生まれてきたような選手でした」
アリ・シャッフルと呼ばれる華麗なステップを披露し、難しい技術といわれる左のレバーブロー(肝臓打ち)も完璧に打ってみせた。その青年がまだプロデビューもしていないと聞いて、驚かされた。
ただ、町野の心をもっとも震わせたのは、技術より、その人生観においてであった。
「一番、印象的だったのは、あのハングリーさというか、この時代に、まだこんな奴がおったんか、ということでした」