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今もリングを目指す辰吉丈一郎。
あしたのジョーは、もういない。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2019/04/29 10:00
辰吉丈一郎は今もジム通いを続けている。すべてをボクシングのために。今もそんな人生を歩んでいるのだ。
辰吉のスタイルは辰吉だけ。
池原はデビューから17連勝を飾り、ボクシング界のホープとなる。辰吉の合宿にも連れて行ってもらえるようになった。ただ、リングを重ねるほど、辰吉に近づけば近づくほど、あることに気づかされた。
「結局、辰吉さんのスタイルは辰吉さんにしかできないんです。あんなにガードを下げてなんてできません。それに、やっぱりボクサーは殴られたらだめなんです。外傷は時間がたてば消えますが、脳のダメージは消えない。打たれるのを怖いと思ったことはありませんが、何試合もやっていくと、見えているパンチが避けられなくなっていくんです。脳からの反射が鈍くなっていく。それが怖かったです」
試合を終え、映像を見る。その度に自分が静かに破壊されていることに気づいた。
だが、池原の眼前には、相変わらずガードを下げて、打たれても打たれてもリングに上がろうとする男がいた。
1999年8月29日。3度目の王座から陥落していた辰吉は、ベルトを奪っていった相手であるタイの英雄ウィラポンへの雪辱戦に挑んだ。限界説がささやかれる中、最後は7ラウンド、44秒。強烈な右ストレートに顔面を撃ち抜かれた。
ストップしたレフェリーに抱きかかえられると、その体はぐにゃりと後方へのけぞった。立ったまま失神する壮絶なTKO負け。多くの人が辰吉の“最期”として記憶している場面だ。
引退宣言翌日にはロードワーク。
ただ、「普通のおとっつぁんになります」と引退宣言した辰吉は、もう翌日にはロードワークを再開した。大阪帝拳は揺れた。もう試合は組まないというジム側と、続行を望む辰吉。そこで当時の吉井清会長が出した条件が、日本ランク1位にいた池原とのスパーリングだった。憧れの人との進退をかけた対決に池原は身震いした。
「僕にも将来がありましたから、会長にアピールしたかった。だから僕が自分の手で辰吉さんに引導を渡すんだ、と。そう決心して目一杯やりました。でもね……、ボロボロにやられましたよ。執念です。あの時、『ああ、この人はボクサーとして生涯を終えるんだろうな』と思いました」
池原は2008年、WBAバンタムのベルトをかけて、ウクライナの王者に挑んだが判定で敗れた。引退後、会社員として働きながら今、審判としてリングに立つ。
「僕はお腹いっぱいでボクシングをやめました。審判の使命は選手を守ること。勝負をつけさせてあげたい気持ちはありますが、その範囲内でなるべく早くストップするようにしています。辰吉さん? 誰も止められません(笑)。辰吉さんの生き方は辰吉さんにしかできないんです」