松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER

松岡修造の「何を上げているか?」に、
パラパワーリフター・大堂秀樹の答は。

posted2019/03/19 10:00

 
松岡修造の「何を上げているか?」に、パラパワーリフター・大堂秀樹の答は。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

前列左から、マクドナルド山本恵理、大堂秀樹、後列は吉田寿子局長。東京パラリンピックをみんなで目指す!

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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Yuki Suenaga

 松岡修造が、パラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。パラ・パワーリフティングでパラリンピック3大会連続出場し、日本を代表するパワーリフターの1人である大堂秀樹さん。今は東京大会での活躍に向けて、徐々に調子を上げていく時期だという。

松岡「東京2020まで、あと2年を切りましたが、調子はいかがですか。2018年9月には、北九州市で行われたアジア・オセアニアオープン選手権で銅メダルを獲りました。日本パラ・パワーリフティング主催の主要大会で日本人がメダルを獲るのは初めてのことです」

大堂「自己ベストの195kgでしたけど、やっぱりそのときは、自分を信じて臨めているときの感覚と同じで、バーベルが軽かったです。会心の一撃というか、決まるときの動きがスパンとはまって、あれはすごく気持ちが良かった」

松岡「やっぱりその日も……しつこいけど聞きますね。赤いきつねを食べて?」

大堂「もちろん。朝5時とかに起きて、食べるわけですよ。40過ぎたおっさんが。ちょっとね、きついけど、なんというか、押し込む感じで食べました。こう見えて、食が細いんです」

松岡「ジンクスなんだから、全部食べなくても良いじゃないですか」

大堂「もったいないでしょ。残しちゃいけません。それに、試合の何時間前に起きて、お揚げも麺もこれだけ食べると、試合中にお腹が空くこともないんです。そこがわかってますからね! ジンクスではなく、ルーティンです(笑)」

大堂秀樹(おおどう・ひでき)

1974年10月17日愛知県名古屋市生まれ。18歳の時にバイク事故で脊髄を損傷し、車椅子生活に。3年後にパワーリフティングを競技としてはじめ、2008年北京(75kg級8位)、2012年ロンドン(82.5kg級6位)、2016年リオ(88kg級8位)と3大会連続でパラリンピックで入賞。2018年9月に北九州市で開催されたアジア・オセアニアオープン選手権(88kg級)で同大会日本人唯一の銅メダルを獲得。SMBC日興証券所属。

松岡「これから2020年の東京に向かっていく中で、自身も手応えを感じていると思いますし、周りの期待も高まっています。それは肌で実感してますか」

大堂「ロンドンパラの頃なんて、こうやって取材に来てくれるのも地元名古屋の新聞記者さんくらいで、それはリオでもさほど変わりませんでした。でも、東京開催が決まって、パラリンピックにもすごく注目が集まっている。自分としては、その流れに乗っかりつつ、いかに乗せられないようにするか、その線引きを大事にしたいです」

松岡「その信念を貫き通せる力はどこから来るんでしょう」

大堂「経験ですかね。アスリートは結果を出すしかないので、そのための障害になることは決してやらない。だからこの取材も、「撮影のために何kg上げて」とか無茶な要求をされるのなら受けていないと思います」

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